関与先企業を訪問し、対談した内容をホームページに掲載しております。皆様に少しでもお役に立てば幸いです。
なお、紹介した関与先のホームページアドレスをリンクしてあります。
企業名 | 社会福祉法人 美桜里会(桜花保育園)様 |
---|---|
業種 | 保育所 |
今回はさいたま市で保育園を運営している社会福祉法人美桜里会様を訪問いたしました。
【奥山所長】(以下所長)本日はお時間を頂きまして有難うございます。
お話を伺わせて頂きたく、どうぞよろしくお願い致します。
【田仲理事長】(以下園長)よろしくお願い致します。
【所長】昨今、保育園が不足していて困っているという話をよく聞きますが如何でしょうか。
【園長】さいたま市も、今年の10月時点で待機児童が増えて、まだまだ足りていない状況ではあります。
今年度もさいたま市内では10か所が開園していますし、当園も来年にはもう一か所開園しますが、定員確保にはまだまだ達しておりません。
【所長】運営にあたっては補助金等も出るのでしょうか。
【園長】さいたま市と国から補助金がでます。
【所長】この地域(さいたま市)では、お子様が増えていると感じますか?
【園長】そうですね。浦和・大宮近郊のお子様は増えてきており需要は多いです。
ただ、土地の価格が高くて建築がしにくいという問題もあり、浦和や武蔵浦和等は保育園も不足しています。
その様な事情を踏まえて制度が緩和され、駅前であれば園庭が無くても開園ができるようになってきました。
【所長】土地や建物の問題もありますが、保育士になる方が不足しているという問題もありますね。
【園長】そうですね、保育園は建つけれど保育士の確保は非常に難しく思います。さいたま市は電車で10分も乗れば都内に行けますが、都内とさいたま市では保育士に対する処遇面で補助金の格差があり、さらに保育士の確保がしにくい環境になっています。
【所長】田仲理事長が園長になられたのは、どの様な経緯があったのかお聞かせ頂けますか?
【園長】私は7年ほど前には創作家具の営業をしておりました。そこで、ある設計事務所を訪問した際に、社会福祉法人の立ち上げに詳しい方と出会いました。ちょうどその頃、母が保育園を運営していた関係もあり、私自身も起業してみたいとの思いが強かったので母の力も借りて保育園を立ち上げることにしました。
【所長】お母様も保育園を運営されていたのですか。場所はどの辺りでしょう。
【園長】東浦和の駅前です。現在は弟が後を引き継いで運営をしております。
【所長】小さいお子様が対象ですから可愛い反面、我儘な子供達もいてお仕事も苦労される事が多いのではないでしょうか。
【園長】私のところには時々、言う事を聞かない子供がやってきます。保育士に「園長先生に聞いてきなさい」と言われるみたいですね。その時私は割と冷静に対応できますが、日々子供と触れ合っている保育士たちは、やはり人間ですからあまりに言う事を聞かないと気持ちの中で波があるようです。しかし、そこは保育士としてのプロ意識をもって常に子供達を否定せず極力関わるという園の方針があるので、それを大切にして欲しいですね。
【所長】肯定的に見守ってあげるということですね。
【園長】そうですね、子供の時期に自己肯定感を持てない子は、将来社会に出ても活躍できないというデータも出ていますし、そこは大切にしたいと思っています。
【所長】幼稚園と保育園の違いは何でしょうか。
【園長】保護者からみると幼稚園は教育、保育園は預かりと考えている方が多いですが、私はその考えには納得がいかないです。保育とは擁護と教育の融合だと思っておりますし、当保育園でも教育はしています。保育園の強みは0歳児から関わることができ、信頼関係も築くことができる。集団生活も十分学べると思っています。保育園に誇りをもって運営しているので、今のところは利用して下さる保護者の求める事が違うと考えています。
【所長】子供が減っていると実感をしますか。
【園長】都市部はそれほど感じません。ただ時々全国の園長先生が集まる機会があるのですが、秋田や岩手の園長に話を聞いた際には既に定員割れをしている保育園が多くなっているとの話もありました。さいたま市は今後10年で極端に人口が減るとは思えないですし実感としてもそれほど感じません。
【所長】未来につなげていく仕事は夢があり、遣り甲斐や楽しさも見出せますね。本日はどうも有難うございました。
企業名 | 株式会社 オキツ |
---|---|
業種 | 米穀類卸小売業 |
HP | http://www.okitsu-shop.com/ |
今回は東京都江戸川区で「お米のオキツ」を営まれている株式会社オキツ様を訪問させて頂きました。
(奥山所長)本日はお時間を頂きまして有難うございます。ご商売に関して色々とお話をお聞かせ頂きたいと思いますので宜しくお願い致します。早速ですが、元々こちらにお住みになったきっかけはどのような経緯でしょうか?
(社長)元々、両親が米や食料品を売り出したのが昭和34年でした。私は当時中学生だったと思います。その後就職し、本格的にお米を売り出そうと父親と一緒に支店の出店場所を探していた際、偶然この辺りを通りかかったら団地が遠くに見えました。団地が3棟も建っているなら付近にお店があるのではないか?と行ってみたところ、廃業したスーパーの空きがあったので、そこを地元の方に紹介してもらいました。お米は当時、国から販売許可を取らないと売ることが出来なかったため、まずは10坪のパン屋から始め、許可が取れてからお米の販売を開始しました。その後チェーン店のミニスーパーも始め、米屋とスーパーの二足のわらじでやっていました。
(奥様)当時はまだ夫婦2人で商売をしていました。チラシはプリントゴッコで作り、自転車で配達しながらチラシを配る。店に帰ってお客さんのレジ打ちをしながら、またチラシを持って配達する、という形でした。当時はチラシを増やせばお客様も増えるといった時代でした。チェーン店のほうは月1で特売日がありました。その日は手が回らなくなるため、パートさんに入ってもらい特売日は私とパートさんが店におり、主人はずっと配達をしていました。
(社長)私達が出店する前にも何軒かスーパーがあったようですが、いずれも潰れてしまったそうです。50坪ほどあって品揃えも良かった様ですが、人口の割に規模が大きすぎたのも廃業の一因だったのかもしれないですね。
(所長)配達等の労をいとわなかったのも良かったのでは?お米は重いでしょう。
(社長)配達するのは当たり前だったですからね。私は生まれた時から商人の家で育ったので、商売をやるのは全く苦じゃない。だから今でも配達は小売業としては多いほうだと思います。
(奥様)今の時代みたいに、お米を買って自分で持って帰ってくるという習慣は、昔はなかったですね。配達してもらって当たり前でしたし、お米は最低でも10kgでしたから持って帰れない。今は5kgが主流ですが、当時5kgというのはあまり無かった。夜の配達は高校生の男の子にも手伝ってもらっていたのですが、それでも間に合わない場合は私も20kgを担いで配達に回っていました。
(所長)最近は5kgの販売というのが主流なのですか?
(社長)2人家族であまり量を食べない方だと1ヶ月位は5kgでも足りてしまいます。家族が少ないお客さんであれば10kgではなく5kgを少しずつ買ったほうが、つきたての内に食べられて美味しいよってお薦めしたりもします。そう考えると、今は5kg~の配達ですが、そのうち配達も3kg~になってしまうのかなとも思います。ただ、それだとガソリン代も余計にかかるので難しいところです。
お米は時間が経過しても見た目があまり変わらないので、いつ食べても変わらないような気もしますが、本当に美味しく食べられる賞味期限は実のところ3週間程度です。精米した翌日にガクッと味が落ち、3日目以後は味が少しずつ緩やかに落ちていきます。いかにつきたてが美味しいか、ということです。だから精米機が売れるのです。玄米で食べる人が増えたということもありますが、自分の家で玄米を精米して食べる人が今でも沢山います。
(奥様)お米が登録制になり、どこでも販売できるようになってくると徐々に商売にも響いてきました。特にスーパーが販売するようになってくると、この業界も大きく変わっていきました。周りのお米屋さんもだいぶ潰れました。私たちはずっとチラシを切らさずやってきたので残ってこられたのかもしれませんね。
(社長)元々そういうのが嫌いではなかったので今でもワードアートを使い、自分でチラシを作っています。新聞の折り込み広告はチラシを重ねていくと滑ってしまうので、あえて昔ながらのざらついた質感の紙を使っているのですが、そうすると帯のように使ってもらえて目立つのです。手作り感が目立つ分、字が多いだの品位がないだの自分でも色々と思うけれど、より多くのお客様に見て頂きたいからこの形にしています。
うちのチラシは裏が白地で鉛筆書きも出来るので、“メモ用紙に使いたいから余っているチラシはない?”って、お客様に言われたりもします(笑) 手作り感はありますが、もし専門業者にチラシ作成を依頼していたら、コスト面も含めると今日まで続けてこられなかったかもしれないですね。
(先生)お客さんから銘柄の要望などもありますか?
(奥様)ありますね。テレビ等で銘柄や品種を紹介されると、すぐにその商品を求めてお客様がいらっしゃいます。お客様は情報にとても敏感です。そういう商品はすぐに飽きられたりもしますが、それでもなるべく置くように心がけています。
(先生)色々な種類を揃えるとなると在庫は残りませんか?
(社長)在庫と言っても、玄米であれば半年~ 1年は持ちますし、美味しい内に食べていただけるように毎日売れる分しか精米しないので大丈夫です。
やはり毎日の食卓のことなので、スーパーより値段が高すぎても駄目ですが、美味しいと分かって下さるお客様は、少しなら価格が高くても固定客になって下さいます。
今後もお米の商売を続けていくつもりです。お米は誰でも食べるし、近くに大きなスーパーが何軒も建ったとしても、お米が好きなお客様は来て下さるので、そういうお客様を大事にしていったら、これからも残っていけるのかなと思っています。
(先生)本日はお元気にご商売されている姿を拝見でき、とても良かったです。色々とお話を聞かせて頂き、本当に有難うございました。
企業名 | 中銀インターナショナル株式会社 |
---|---|
業種 | 繊維製品の輸出及び輸入業務 |
今回は神田でカシミヤ製品の企画・販売を営まれている中銀インターナショナル株式会社を訪問させて頂き、長年に渡り繊維業界で実績を積まれてきた谷社長にお話を伺いました。
【奥山所長】神田・御徒町は宝飾・繊維を扱う卸しの会社が多いですよね。
【谷社長】そうですね、特に宝飾関係の会社は多いと思います。
【奥山所長】谷社長はどのような経緯で今の会社を立ち上げられたのですか?
【谷社長】紡績会社を退職後、先輩後輩とルーエンジャパンと言う会社を設立しました。
10年間勤務しましたその会社でも奥山会計さんに経理を見て頂いていました。
会社も順調に発展して来ましたので退職しましたが、その後ご縁がありまして今の会社、中銀インターナショナル㈱を設立致しました。
【奥山所長】御社は中国とのつながりが強いようですね?
【谷社長】そうですね。当初は合弁事業で始めたのですが、中国の会社(中銀絨業股份有限公司)は深圳の証券取引所に上場している会社です。どうしても独資の会社にしたいので株式を買い取らせて欲しいとの要望がでました。私たちもいろいろ考えましたが自分たちは営業で頑張ろうと言うことで株式を売却しましたので現在は中国の100%出資会社です。
【奥山所長】なるほど。工場の写真を見せてもらいましたが、相当大きな規模の工場をお持ちなのですね。
【谷社長】中国政府の方針で内陸部の開発計画が出ています。中銀絨業股份有限公司は北西部の寧夏回族自治区の霊武市に所在しています。政府の開発計画の中で120万㎡の土地を買収して住宅やショッピングセンター、工場の増設等建設を完了させています。工場の周辺に住居を作り周辺の人達を町に集めて収入を多くし豊かな暮らしを計画していると考えられています。
【奥山所長】御社の扱っている製品はカシミヤがメインなのですか?
【谷社長】カシミヤ100%の商品が主力ですが、コットン、ウール、リネン、合繊等の原料をカシミヤにブレンドして混紡商品の数量も増えています。
現在繊維業界も厳しい状況です、2014年~2015年には専門小売り増収、増益でした。上位の10社で7割を占めていて、専門小売店が上位を占めています。百貨店、量販店、専門小売店が苦戦をしています。これは日本の産業構造と言いますか流通構造の変化と思います。
【奥山所長】低価格の商品を扱わなければそういったマーケットに入るのは難しいということですか。アパレルの業界も移り変わりが激しいですからね。
コンビニに関しても品数揃えて安く売る、これにスーパーがやられてしまって厳しい状況にありますね。
【谷社長】スーパーマーケットの衣料分野は当初百貨店のマーケットを取って低価格商品で利益を上げてきましたけれど現在はスーパーマーケットの衣料品部門は苦戦をしています。大手専門小売店に比べて商品、単価に魅力がなくなっている為と思います。
今はなかなか給料が上がらない、年金生活者が多くなってる等の理由で衣料品にお金を使わなくなっているとも言えると思います。
【奥山所長】いずれ消費税が増税されたらますますお金を使わなくなることが予想できますからね。
ところで中国では大連に繊維の会社が多かったと思うのですが?
【谷社長】大連もそうですが広東省、上海地区が勢力としては大きいと思いますが、沿岸地域では人件費が高くなった為生産地は内陸の方に移動しています、山東省等は綿紡績が多いです。
中国では人件費が高くなった為魅力が薄れ東南アジアに生産地を移しています、東南アジアの生産が予想以上に増えています。
【奥山所長】なるほど、タイ、ベトナム、カンボジアなどですね。
糸などの原材料はこれらの国々でもとれるのですか?
【谷社長】カシミヤ原料に関しては主産地は中国です、現在は外モンゴルの生産量が増えています、中国の労働価値も変わって来ています。カシミヤ山羊を飼育するより羊や乳牛を飼育した方が利益は多い等、今までとは環境が変わってきました。
【奥山所長】谷社長はこの業界に何年くらい携われているのですか?
【谷社長】紡績会社、製品会社で約55年間仕事をしてきました、先輩、同僚もほとんど引退しています。繊維の最盛期等を知っている人達も居なくなりました。戦後の物の無い時代、朝鮮動乱等繊維の仕事も良い時代が有った様ですが私も残念ですが経験して居ません。
【奥山所長】私も先輩に聞いた話ですが、昭和20年代は税理士にとっても良い時代で、会社が次々に出来て登記や決算など今よりだいぶ景気が良かったようです。
【谷社長】なるほど、どの業界もそれぞれいい時代があったということですね。でも今は社会のスピードがすごいですね。ですから油断して気が付いたら先を越されているということがあると思います。今はITの時代ですから、将来はどうなっていくのでしょうか。
【奥山所長】まず単純反復作業は人間にとって代わるでしょうね。いわゆるAIは学習作業も今や可能な時代ですから、一回作業を覚えたら、覚えたものをつなぎ合わせる能力をもっています。それが続けば、いつかは人間の知恵に成り代わる可能性があるようです。
今は覚えたものを繋ぐ応用がなかなかうまくできないようですね。
ただ、覚えたものを大きくすることがパターン化されると人間の頭脳と同じ考え方ができるんじゃないかと言われていますね。
【谷社長】ただ一方で面白い現象もありまして、人のぬくもりのあるモノづくりと言うのが出てきていて世の中っていうのはあるところまで行くと戻ってくるものなんでしょうか。
【奥山所長】ですからAIなんてと言うんじゃなくて、やっぱりそれと共存していくのが大切な事なんじゃないでしょうかね。本日はありがとうございました。最後にお言葉をいただきたいのですが。
【谷社長】そうですね、変化に対応することが大事なことだと思います。
それと油断をしないこと、どんな情報でもしっかり見極めて謙虚な気持ちで仕事に取り組むことが大切なことと考えています。
企業名 | 株式会社 新日本観光自動車 |
---|---|
業種 | 一般旅客自動車運送事業 |
住所 | 東京都足立区谷在家3-7-14 |
HP | http://www.shinnihon-inc.co.jp |
【奥山所長】(以下所長)所長バス事業は、大変資本がかかり新規に始めるのは難しいと思います。
どういった経緯で事業を始められたのか教えてもらえますか?
【佐久間社長】(社長) 父が都営バスに勤めていまして小さい頃からバスに関わる職業に就きたいと思っていました。
平成7年に営業ナンバーを取得し、平成11年の規制緩和のときに本格的にバス事業に参入しました。
【所長】バス事業を始める前は、何をされていたのですか?
【社長】産業廃棄物の収集運搬をしていました。
【所長】まったく違う商売ですね。
一番初めに取得されたのは、路線バスの免許ですか?
【社長】いいえ、平成11年に貸切バスの免許を取得して、4年後の平成15年に路線バスの免許を取得することができました。
【所長】バスを購入するのは、大変だったのではないですか?
【社長】バスは高いので苦労しました。平成11年の時点では、車両規制がありまして新車から5年未満の車両でなければならなかったので特に大変でした。その後、車両規制が緩くなり台数を増やすことができました。
【所長】観光バス事業は、どのような営業をして顧客獲得をされたのですか?
【社長】事業開始当初は、地元のお客様が全くいませんでしたので旅行会社を介して仕事をしていました。年数が経つにつれて地元の方にも知っていただくことができ、徐々に仕事が増えていきました。
また東北大震災の前は外国のお客様に頼っていた部分が大きかったのですが外国人の方は、大震災や、鳥インフルエンザなどの災害などがありますと途端に来なくなってしまうので、現在は日本人のお客様を獲得するよう努めています。
【所長】御社が、一番自信を持っているルートはどこになりますか?
【社長】場所的に、どこというのは無いのですが大手に比べて距離に対する制限が少ないことや料金面で有利だと思っています。
また、お客様のご要望になるべく応えるように努めています。
【所長】添乗員やガイドさんは、どうされているのですか?
【社長】添乗員は、基本的に旅行会社が用意します。またガイドさんは外注にお願いしております。
【所長】現在、バスは何台ありますか?
【社長】貸切バスが、18台で、路線バスが16台になります。
【所長】ものすごい投資になりますね。
路線バスは、大手のバス会社が多いように思いますが、どのようにして参入することができたのですか?
【社長】平成8年に、足立区役所が北千住から中央本町に移転した際に新たな路線が必要となりました。足立区役所がその路線を公募しましたので営業に行ったのがきっかけです。平成15年にその路線で運行するまでに3年かかりました。
【所長】現在は、いくつの路線で運行されているのですか?
【社長】北千住を起点にした4路線になります。
【所長】路線バスは社会に貢献していますし立派な仕事ですね。
【社長】有難うございます。
乗車賃を考えますと利益率は高くありませんが、安定性に魅力があります。
【所長】バス事業は大変夢がある事業だと思いますので、今後のご活躍をお祈りしています。今日は有難うございました。
企業名 | 株式会社ケイ・ブックス |
---|---|
業種 | 書籍・雑誌小売業 |
住所 | 東京都豊島区東池袋3-15-2 |
HP | www.k-books.co.jp |
本日は、コミックス専門の古本屋で会社を拡大させている株式会社ケイ・ブックスの大塚健会長の許を訪ねました。
「他力本願で年間50億円稼ぐ!」の筆者でもある大塚氏は治癒不可能の難病『筋ジストロフィー』を幼少期より患いながらも20代で起業し、ベッドに寝たきりの重度の障害を抱えながら、今も会社のトップとして経営を行っています。大塚氏の物事の見方や考え方をお母様である大塚相談役が会長の声を聞き取りながら私達に伝えて下さる形で、対談に応じて下さいました。
【奥山所長】(以下所長)まずは、私共の事務所がある巣鴨にもケーキのお店を開いていただいて有難うございます。私も時々、お店を利用させていただいております。
ケーキ屋さんは新規事業として取り組まれている訳ですが、もともと会社を始められた当時はどの様な思いで始め、ここまで大きな会社へと発展させていったのでしょうか。
【大塚会長】(以下会長)まず二十歳の時に父から『自分の食いぶち位は自分で稼げ!』と怒鳴られました。当時は病気の進行により、既に私は車イスの生活でした。しかもこの病気は進行し続け、不自由さがその後も増していく。だから父の言葉には傷ついたし、悔しかった。ただ、反発しながらもそれまでの生活を変えたいという思いで自分に何が出来るかを懸命に考え、高校時代に集めたマンガを貸本として貸本屋を始めたのです。
【所長】病気をお持ちで自分が思ってもなかなか動くことが出来ない中、大変な事も沢山あったと思うのですが、どの様なご苦労がありましたか。
【会長】私は苦労をしていないです。苦労をしたのは周りの人です。
【大塚相談役】(以下相談役)手も足も動かない障害者に自分の食い扶持くらい稼げと言った主人に、最初は私も激怒し喧嘩もしました。その時に、何としても何かをやり遂げたいと思ったのです。
【会長】これも偶然なのですが、住んでいたマンションの傍に古本屋さんがあり、たくさん良い物が安く置いてあったので、そこで本を買い揃えました。更にそこの店主さんから古本屋のやり方等を教えていただいたり、古本の市場を紹介していただいたりもしました。
【所長】ここまで会社が大きくなり、多店舗になって管理も大変だろうと思うのですが、経営者としてどの様に把握をし、指示を出されているのでしょうか?
【会長】基本的に店舗へは行けないのですが、提出してもらう報連相の書類と売上表を見れば今日一日、何をしていたのかという事がだいたい把握できます。それを基に注意や改善を求めたりもします。
【所長】報告を受けても、そこにある問題点に気付く事や、それについての改善案の発想自体が経営をやっていてなかなか難しい事だと思うのですが、それを思いつく・考える事が出来るというのは、自分の頭の中で関連する事柄が何かあるのでしょうか。
【会長】最初の頃は私もお店にいましたし、お店を作る過程も全部自分でやってきた、その経験があるからだと思います。
【所長】現場にはいけないけれど、自分でやってきた経験が生きているという事ですね。
【相談役】とにかく(会長は)全部自分でやらなければ気が済まない人なのです。今でも社員のシフトから店舗の図面から配置から全部やっているのですが、それがちょっと普通の人では出来ないと思います。これは褒めているのではなく、あまりにも細かすぎるという事です。
【所長】そういう点では率直に言って、ご本人はもどかしさを感じる事もあるのではないでしょうか?
【会長】ただ経営者として一番良い所は、自分が出来ないからやってもらうしかないという所ではないでしょうか。普通の経営者の様に、自分で動いてしまうという事が出来ないから任せて見ていられるのだと思います。
【所長】信頼関係が強くないと、そこまで出来ないですよね。
【会長】逆に、私は猜疑心が強いと思います。だから細かく色んな事を見ていくのだと思います。信用していないという事なのでしょうかね…。
【相談役】まぁ、信用していないという訳ではないと思うのですが、あまり細かく指示を言うので皆は言ってもらえれば動けると思ってしまう部分はあると思います。
【会長】ただ、細かく言われるので何か不正をしようという気持ちにはならない、という所もあると思います。うちの連中はみんな正直なんですよ。
【所長】従業員の方々は非常に教育が行き届いていて、しっかり立ち回るという事では有名なお店だと認識しているのですが、日ごろからそういう教育をされているのでしょうか。
【会長】多分それは噂みたいなモノで、私が何でも知っていると社員が皆、思っているからじゃないでしょうかね。隠し事をすると後で大変だと思っているのではないかと思います。私が何でも知っているという都市伝説みたいになっている様です。
【所長】ケイブックスさんは書籍販売において成功をしていると思うのですが、一方で書籍販売以外の喫茶やケーキ屋については、どういった発想からやってみようと思われたのですか?
【会長】本当はただ単に、空いているスペースが勿体ないから始めた事なのです。初めは予約のみで短期間だけやろうと思っていたのですが、ずっと予約が切れず、あまりにも人気が出てしまってやらざるを得なくなってしまいました。パティシエさんがいないと出来ないので入ってもらったのですが、カフェのケーキを作るだけでは辞めていってしまうのでケーキ屋さんも作ったのです。
【所長】一方で銀座の絵本カフェは7ヵ月程で撤退も早かったですよね。撤退はどういう判断で行うのですか?
【会長】私は小心者なので、いくら黒字だとしてもそれがずっと続く訳ではないと考え、ダメになってしまう前に辞めているのです。
【所長】リスクを感じたら、早めに撤退するという事ですね。
【相談役】メイド喫茶も良い時期に辞めたと思っています。今はもう下降気味で衰退していますからね。
【所長】これから書籍だけでいかないとすれば、新たな発想でどの様な展開をお考えでしょうか。
【会長】本当は飲食の部分が柱となっていけば良いと思っているのですが、普通の飲食という訳にはいかないので、書籍の部分とリンクして飲食をやっています。ケーキ屋さんというと、書籍とは全然違う商売をやっていると皆さん思うでしょうが、飲食とアニメや漫画をコラボレーションさせているので全然違う業態をやっているという感覚が私にはないのです。
【所長】私共の事務所でもたくさんの会社とお付き合いがあり、皆さんそれぞれ経営でご苦労をされていますが、何か参考になる事がありましたら、ぜひお伺いしたいと思います。
【会長】もしかすると、それが一番良い事なのかなと思っているのは、先程も言いましたが、『自分で動かず、人に任せるということ』
どんなに時間がないとしても、人がいないとしても、自分でやらずに最後に確認だけする事かなと思っています。
基本的に人はそんなに一生懸命に働かないので、出来る仕事の2割増しで仕事を与えます。大体みんな、「出来ないと思う」と先に言うが、やってみないと分からないのに、先に出来ないというのは駄目だろうと言います。
後は、想像をするという事ですかね。
【所長】想像する事が実はみんな大変ですよね。
【会長】簡単なのは一時間後にどうなっているか?と想像するのです。
【所長】一時間後の延長線で一日後、一か月後…と考えていくのですね。
【所長】少し話が変わりますが、お体が不自由な中でお母様や奥様に支えられながらやっていると思うのですが、お聞きした所、奥様はケイブックスに勤められていた方ですが、どんな印象を結婚する前にお持ちになられていたのでしょうか。
【会長】とにかく一生懸命な子だという印象でした。素直に話を聞くし、言った通りに仕事もするし、仕事に対して熱意を持っているという印象です。
【相談役】彼女は17歳の時に店長になり、一番初めに任された仕事が自分より上の人の首を切る事でした。それが本人もすごいプレッシャーだったと思うし、辛かっただろうと思いますが出来る子だったからその試練にも耐えたのだと思います。彼女に一番初めに出会った時、私は採用できないと言いました。下ばかり向いて喋らない子だったので、この子に仕事が出来るのかなと思ったのです。
【会長】でも、人は出来ない事なんて殆どないのです。頑張る事でクリア出来るはずなのにもうひと踏ん張りが出来ていないだけなのです。
【所長】仰る通りですね。御社はそこで社員の方たちに壁を乗り越えさせて、社員・会社共々成長していっているのですね。本日はお忙しい中、大変貴重なお話をしていただきましてありがとうございました。
企業名 | 谷野歯科医院 様 |
---|---|
業種 | 歯科医院 |
住所 | 埼玉県川口市飯塚2-10-2 |
HP | 048-252-4273 |
【奥山所長】(以下所長)医院をお継ぎになってどのくらいになるのですか。
【谷野先生(以下先生)】私は1年と9か月位です。
【所長】それまでは、どこか他で医院をやっていらしたのですか?
【先生】はい。栃木県の佐野という所で5年間、院長という形でやっておりました。
【所長】佐野は何かご縁があったのでしょうか?
【先生】ご縁というか、佐野の方で誰かいないかと探している人がいましたので、それなら行きますという事で行きました。現在はもう、別の方が後を継いでおります。
【所長】親子三代で医院をやられているという事について伺いたいのですが、三代というのは大変ですね。
60年近く続く医院ですが、引き継がれた時はどんな思いだったのでしょうか?
【先生】小さい頃から何となくイメージはありましたので、やっとその時がきたかという感じでした。
【所長】佐野を5年間経験され、帰ってきて川口との違いというか何か感じる事はありましたか?
【先生】以前の医院はスーパーマーケットの中にあったので、立ち寄りやすさから若い人も多かったのですが、ここは地域に根付いており、割と年配の方が多いかなという風には思います。
【所長】川口も歯科激戦区ですよね。その辺りはどういう風に感じられておりますか?
【先生】大変ですけども地道にやっていくしかないですから、焦ることなく今いる患者さんを大切にしてやっていこうと思っております。
【所長】最近の歯科の治療で、何か特徴はありますか?
【先生】今は虫歯を作らないという方向になっておりますので、予防を基本にこれからも変化していくのではないかと思いますね。もちろん虫歯の治療や歯周病の治療も当然昔からあるのですが、予防の方面にも更に重きをおいていくのではないかと思います。
【所長】私が少し聞いた所では、直接の歯痛だけではなく、からだ全体の病気にも歯に原因がある・歯垢や口腔の中の菌が原因となる場合があると聞いたのですが。
【先生】そうですね、歯周病等は心臓病や糖尿病、生活習慣病に大きな影響があると言われています。団塊世代で頑張ってきた人達の中には、口の中がものすごく悪くなっている方もいらっしゃいます。
これから老後を楽しむ為にも病気になってしまってはいけないので、それらを予防する事によって対処もできると思っています。
【所長】先生は診療について特に意識をしている事はありますか。
【先生】最先端の治療は保険が効かないものですが、一番患者さんにとって良いであろうという場合で、そういう治療を受ける事が出来る方には提案をなるべく丁寧に行う形を取っております。
【所長】インプラントはよく耳にしますが、現在インプラントよりも先に行くような治療はありますか?
【先生】再生療法やIPS療法も研究している人はいるのですが、まだ歯科ではしばらく時間がかかりそうですね。
【所長】インプラントにしないで、現存の歯茎をなるべく残すという話も聞いた事がありますが、どうなのでしょう。
【先生】そうですね。無理やり歯茎を残してしまっても、その後やはり宜しくないからインプラントにしたいと言った時に、もう出来ないという場合もありますから、一概には言えず難しいですね。
アメリカだと責任問題から訴訟へ発展するケースがあります。頑張って治療しても駄目になると訴えられるという事がある為、日本であればこれは抜かないでしょうという歯でも、アメリカでは抜いてインプラントにするような話もありますし、どこで線を引くかというのは難しいと思いますね。
【所長】なるほど、そうなのですね。
ところで、先日、医院のリニューアル工事をされたとの事ですが、大変綺麗な入口や控室ですね。
【先生】ちょうど8月に工事したばかりなのです。工事にあたってデザイナーの方の提案もあったのですが、精神的にリラックスできる空間になるようにと直線的ではなく、丸みを帯びた造りにしてもらいました。
【所長】室内の緑もうまく配置していますし、綺麗なお庭も見えますね。
こういう風に庭が見える造りの医院は珍しいですし、気持ちが落ち着く良い空間になっていますね。
最後に、このHPを読まれた方へ医院のご紹介や伝えておきたい事がありましたらお願い致します。
【先生】午前中は主婦の方やご年配の方で混む事も多いですが、お昼頃からはちょっと余裕がある時間帯です。混雑を避けたく、時間に都合がつく場合は15~16時位が良いと思います。
また、何かあったら我慢はしないで気軽に寄っていただき、予防の意味でも相談をしてもらえたらと思います。
企業名 | 株式会社谷シャツ商会 様 |
---|---|
業種 | 中衣料製造販売 |
住所 | 東京都港区虎ノ門2-10-4 ホテルオークラ本館内 |
電話番号 | 03-3583-3593 |
HP | HP |
【奥山所長】(以下所長)谷シャツさんは、ホテルオークラと帝国ホテルをメインにして札幌にもお店をお持ちですが、そもそも開設のきっかけはどういうことでしょう
【伊藤社長(以下社長)】創業者の谷(故:谷喜三郎会長)は、昭和5年(1930年)に横浜で開業しまして、その当時は外人の観光客相手に、洋品物をメインに併せてオーダーのシャツをやっていまして、それがもとになり谷シャツ商会に繋がっています。
昭和32年(1957年)に先代の奥山素章先生にご尽力頂き、㈱谷シャツ商会を港区元麻布に設立しました。
その当時から谷はこの辺に帝国ホテルとか日活ホテルがあり、大使館等に出入りしていまして、どうしても超一流のホテルに店を出したいという希望があったようです。色々ご縁があって昭和41年の1月だったと記憶していますが、帝国ホテルの旧ライト館のロビー内に小規模な店舗を出させてもらったのが始まりです。同じく41年の10月に念願かなってホテルオークラにも出店出来ました。
【所長】オークラはアメリカ大使館が目の前だから、アメリカ人脈が在ったのですか?
【社長】谷は、Mr.マッカーサー(GHQ連合軍総司令官)の副官だったMr.ア-ノルドや、テーラー大将などとも、相当以前から親しかったらしく、こうしたツテを通じアメリカ大使館関係者やフランス大使館関係者、その他商用で、日本に滞在している方々などの外国のお客様を、メインにしてビジネスを広げたようです。
【所長】ということは、先代の谷シャツ商会の創業者の谷さんの人柄とか、技術をきちんとお持ちだったとか、それとご縁ですね。
【社長】当時欧米人相手の専門のシャツ屋はほとんどなかったと聞いていますので、谷はその辺に目をつけたというか非常に重宝がられたと思います。
【所長】超有名大ホテル2店で、お店をしっかり維持しておられるのは大変なことと思います。現在のお店はどういうお客様が多いのですか?
【社長】地方・東京を含めて経営者の方がほとんどです。
一昔前は政治家の先生方もけっこういらしてましたが、最近は少なくなりました。現在は財界の御客様が多いですね。特徴的にはだんだん若い方が増えています。
【所長】それはやはりオーダーという形で?
【社長】はい。ファッション全体に興味を持っている方もいらっしゃって、その中でも本当にハイクラスの衣類を手に入れたいというお気持ちのお客様もいらっしゃるのですが、スーツとなると、低い価格帯でも35~40万円ということになり、興味があるだけでは手が出しにくい。その点、ワイシャツなら高価格帯でも5~7万円ですから購入しやすいと感じる御客様が多いのではと感じています。
【所長】御社の特徴は?
ワイシャツがメインでしょうが、どういう所に特徴があるのでしょう?
【社長】製品そのもののクオリティは、創業以来品質を下げない様に努力をしています。私共の職人の有する高い技術を、どうすれば維持出来るかは、普遍的課題として常に配慮して参りました。今取り組んでいる課題は、接客ですね。
お客様の情報を掴み、「谷シャツでなければ買えないんだ」「谷シャツでのオーダーにこそ意味がある」というお考えになっていただく。
以前に別のファッション誌の取材を受けた時にも、お客様をまず大事にし、それから工場・職人を大事にする。こうした事が最終的に店を大事にすることにつながる。こうした哲学が受け継がれている事が、当社の特徴ではないかと考えます。
【所長】最近オーダーではなくて既製のシャツでいい物が多く出てきて、競合になると思うのですが、その辺りはどのようにお考えですか?
【社長】既製の物と当社のオーダーシャツとは、実際には競合関係にはならないと考えています。実際に当社でご発注頂ければ、当社の製品の良さは伝わるものと確信しております。ただ、当社のオーダーシャツを未体験である御客様は、見た目ではどうしても「差」を見出しにくいのではないだろうかとも感じています。
それでは、どうしたらいいのか。是非とも当社のシャツを着て頂く。これに尽きるものと考え、より良き接客(御客様に最適のシャツを御客様と共に創り出す為のコミニュケーション)の為の努力こそが重要だと考えております。
【所長】一方ではステータスがあるから来られるというお客さんもおられますが、一方ではなかなか手が届かないと最初から思って行かない人もいるのではないかと思いますが、その辺りはどういう風に質を保ちながら開放的な雰囲気を作っていかれるのでしょうか。
【社長】当社は、「老舗」の部類に入るものと自負して居ります、だから「敷居」も高いのかなとも感じています。ですから、ある程度開放的にしながらも、従来から御贔屓頂いているお客様がお持ちの「誰でもが知っているシャツ屋」では無く、「俺だけが知っている、特別なシャツ屋」というご期待も大事にして行きたい。
ではこうした事を、どこで表現するか。先程も申上げましたが、接客の部分でお一方、お一方のご要望、お好みを、しっかり把握していけば「俺のことを知っている店だ」という御認識が残る。これをたゆまなく供給し続ける。それが目指すところではないのか。こうした不断の努力こそが、御客様の門戸を広げて行くのではないかと考えています。
【所長】地道にお一人お一人を。
【社長】はい。まず先代、先々代からのお客様方に、我々若い世代の個性を受け入れて頂き、続いて新しく出会えた御客様には、当社の経験で培ったシャツとの出会いを提案して行く事、こうした考えで接客に臨む事だと思います。
【所長】なるほど。社長が変わられてまだ間もないですが、いかがですか?
【社長】以前から御贔屓頂いているお客様たちに、社長を承継しましたので、今まで以上に御贔屓下さいとお願いしております。
現在は、御客様の方々が、甘やかして頂いているに過ぎないと私は考えており、この間に、しっかりと様々な事を学ばなければいけない。今は現場から離れられず、時間的余裕がありませんが、新しい人を増やす準備もしなくてはと、日々大忙しです。
【所長】まぁ地道に努力ですね。技術的なことで読者に向けてここが特徴あるんだよというところを切り口としていくつか教えていただければ。
【社長】当社のオーダーワイシャツは職人自身が採寸するわけではないので、我々採寸者の提示したものを100%に近い形で作れるかということになります。当社の職人さんは限りなく100%に近いものにする技術を有しています。
【所長】寸法さえ間違えなければフィットに作られる。フィットというのは包むような柔らかさ、そういうイメージでいいのですか?
【社長】お客様によってではありますが、若いお客様は、体に密着するような余裕の少ないものが御好みで、こういうタイトなものはこの職人さんに発注し、御年配の御客様ですとこれとは逆に、ボディラインが見えにくい仕上がりでいながら、腕の取り回しがし易やすく、首の上下がし易く御作りする場合は、こっちの職人さんに発注する。御客様のご要望により、それぞれに合わせて、採寸し職人さんを選びます。
【所長】わりと腕をきっちりしめる場合と、ゆったりする場合などがあると思いますが、これは谷シャツさんの見立てですか。それともお客さんの好みですか?
【社長】お客様の好み、もしくは好みとして把握していなくても、その御客様のお召しになられているズボンだったり、ジャケットなどからシャツを合わせるならば、この様なシャツという、私共が経験から積み上げて来た「一つの姿」がありますので、私共から御客様にご提案しております。こうした御提案が、次回のオーダーからは、「こういう上着に合わせるのだけど」とか、「こういう、ゆとりが欲しいけど」というお話をして下さるので、生地の特性や、形や用途の違いを加味して、「今回はこうしましょう」とベストチョイスを提案し、その都度御満足頂いて居ります。
【所長】ちなみに最高級の生地とはどういうものですか?
【社長】価格で言うと、市場に出ているものだと300番手・330番手当りで、糸が細ければ細いほど良い御値段になる事が多いです。しかし最終的には御客様毎に「良いもの」は異なります。細い糸の質感を好まない御客様もいらっしゃいます。またお試し頂いて初めて「良さ」に気付いて頂く「生地」も有ります。当社としては、御客様の「新発見」のお手伝いが出来る様、生地の品揃えには自信があります。
【所長】名前を出しても良い方で、お客さんで有名な方は?
【社長】新聞で谷シャツの名前が出たということで言うと麻生元総理大臣でしょうか。
【所長】お洒落ですものね。時々とんでもないお洒落をされる。
【社長】麻生元総理を見て「カッコ良い」という感想を持ち、それで谷シャツをお調べになり、御来店頂いたお客様もいらいしゃいました。当社としては宣伝効果があります。
悪そうに見えてカッコいい。麻生元総理は、昔から強い悪いものに憧れるという男性的な考え方のひとつの完成形だと思います。あの方の格好に憧れるのも自然というか理解できます。麻生元総理は何十年も変わらない、ずっと同じデザインですからそういう面では非常に英国的な見方、考え方をなさっているのかなと思います。
【所長】その他にも海外の有名な方がいらっしゃいますね。
【社長】ご存命の方だと英国のロックバンドのローリングストーンズのメンバーの方々、故人ですと、フォード元アメリカ大統領、ハリウッド映画の男優のジョン・ウェイン氏もそうです。
【所長】ひとつPRをいかがですか。着たことがない人の為に。
【社長】ワイシャツというと、毎日着る身近なものなので、ファッションとして意識していない方はぜひ一度「オーダーして作った物」を着てみて下さい。着るものでこれだけ違いがあるのだと解かっていただけると思います。
奥山所長のホームページを見ている方々は、すでに色々試されている方もいらっしゃるとも思いますが、是非一度「谷シャツ」と比較してお試し頂きたいと思います。
企業名 | とんかつ高地屋 様 |
---|---|
業種 | 飲食業 |
今回は、川口市にある とんかつ高地屋 様にお伺いしました。住宅地の中で目立たない場所にお店を構えながらも、確かな知識とこだわりを用いて丁寧に作られるお料理、清潔感あふれる居心地の良い空間に思わず引き付けられてしまったお客様が集うお店で、ただただ驚かされるばかりのお話を伺う事ができました。
【高地店主】女性のお客様にこの海老フライも(左写真)人気ですが、この上に更にジャンボ(海老フライ)っていうのもありまして、それを一度召し上がった方は気に入って、それからはずっとジャンボをご注文されます。ヒレかつも一本揚げです。上ヒレなんて召し上がると、こんなお肉があったのかってびっくりしていただけると思いますよ。
【奥山所長】(以下所長)このお店では海老もカツも同じ位、人気メニューだそうですが、とんかつ屋さんでは海老を出さないお店もありますよね。
【店主】海老は基本的に難しいのです。海老とカツでは揚げる温度が違いまして海老は180度、カツは165度。一つのフライヤーで揚げる訳にはいかないのです。海老の温度でカツを揚げてしまうとカツが固くなってしまうので、私の店では銅鍋を使い、それぞれ独自で揚げています。
【所長】そもそも、このお店を立ち上げたのはどういう経緯からだったのでしょうか。
【店主】私の祖父が銀座木村屋で修行し独立していたのですが、子供の頃からそういう姿をずっと見ており、両親も色々なものを食べさせてくれたので、食べる事も料理自体も小さい頃から好きでした。小学校の卒業アルバムには、将来の夢はお寿司屋さんって書いていました。
中学の頃は、何度断られてもアルバイトをさせてほしいとお寿司屋さんに頼み込み続け、海老の殻むきや巻物等も少し学ばせてもらいました。高校時代ではパーラーで働き、そこのフレンチシェフだったオーナーから、プリンやお菓子を任せてもらえる所まで技術を学ばせていただいたのです。
【所長】そうですか。ではお菓子等も作れるのですか。
【店主】はい、作れます。その後は神楽坂の仕出し屋さんに住み込みで入り、日本料理の奥深さや厳しさを学んだのです。
【所長】では、もともとは幅広く様々な料理を勉強されていたのですね。
【店主】そうですね。小学生の頃に書いた将来の夢はもぅすっかり覚えてなかったのですが、何故かそういう方に自然と向かっていたのですね。
そんな時、川口のとんかつ屋さんのシェフが辞めてしまったので、5年頑張ればお店を任せるから来てくれないかと20歳の時に誘われる話がありました。
26歳の時に、高速が通るという話があったのでその近くへ倉庫を改良してお店を移転しました。しかし、見込んでいた高速の話が途中でストップとなってしまい、お客様が全くこない状態が続きました。遠くのマンションや団地までポップを配布して回ったりしても、殆どお客様がこない時期が続いたのです。その時代が一番きつかったですね。
【所長】それでも何とか苦労されながらも細々とやっている内に、お客様が段々とついてきたという感じでしょうか?
【店主】そうですね。売上が良くなってきた1つのターニングポイントは、やっぱり妻との結婚ではないかと思っています。妻のおかげでお店の雰囲気も良くなったという事です。
当時の私は、何としても成功してみせるぞという気持ちがとても強かったものですから、口も非常に荒かったですし、昔の自分は今では考えられない感じでしたからね。
【所長】なるほど。奥様の存在でお店も明るい雰囲気になったのでしょうね。
【店主】そうなのです。またその頃に読んでいた本で宮本武蔵の五輪書から『何としてもこの道を究めるのだという一念を貫き通さなければいけない』という事と吉川英治が自分の依処とする言葉で『我以外皆我師』で、常に謙虚さをもって常に勉強の気持ちで相手に耳を傾け学ぶ大切さに気付く事が出来たのです。
【所長】一念を貫いても周りの声が聞こえず排他的になっているとまた駄目ですしね。
【店主】そうですね。慢心になってはいけないと思っています。だから勉強は常々しており、50歳の時には懐石料理の先生の所に修行へも行かせてもらいました。包丁の持ち方等の初歩的な事から、野菜はどのようにしたら一番栄養価が残り、体に取り込む事が出来るのか、食材一つ一つの栄養学の事も教えていただきました。
例えばキュウリにはビタミンCの破壊酵素があるので、そのまま切って食材に混ぜると、他の食材のビタミンCまで失ってしまう。いかに破壊酵素を取り除くのか等、学んだ知識を今のお店に取り込み、お客様に少しでも健康になってもらいたいと思ってやっています。
【所長】そうなんですか!キュウリをサラダに入れる事は多いですよね。ビタミンCを破壊するなんて知りませんでした。お店の味や雰囲気の良さは感じとれても、そこまで徹底してやっているという事はお客様もなかなか読み取るのが難しいですね。
【店主】知識として、私も知ってしまったら手を抜けないので、どんな事があってもそれはきちっとやり通したいです。お客様の方でも何かしら感じ取って下さる方もいますので、その時にはこういう事をしていますとお話をする事はあります。豚肉の油には悪玉コレステロールはないですよと豚肉の説明もよくさせていただくのですが、最近では私のお店に来て下さるお客様には段々とその事がわかっていただける様になってきました。
お料理の事で伝えていかなければならない事は、伝えていきたいなと思うのです。
動物性のカルシウムは体を作るし、植物性のカルシウムは体のアクを抜きます。
たとえば、ホウレン草って和え物にしたりしますよね。ホウレン草にはシュウ酸がたくさん含まれているのですが、そのシュウ酸をいかに体から排出するかというと、植物性カルシウムのある胡麻が効く為、胡麻和えにすると良い訳です。昔からある料理はやはり理に適っているのです。
【所長】こだわりをもった、これだけの大きさのお店をよく個人で出来ていますね。
素晴らしいです。
【店主】キャパシティは30席なのですが、土日は六時スタートが全部予約で埋まってしまい、第2弾のお客様も一時間後位から入れ替わり始めます。その間も、家に残ってらっしゃるご家族分のテイクアウトや、テイクアウト専用のお客様のご注文もありますので休む間がない状態です。
【所長】基本的には、中はお一人で作られているのですか?
【店主】いえ、三男が仕込み専用で朝からキャベツの千切りやソース等の細かいものも全部を作っており、長男が営業時間中働いています。タレも手作りで、季節に合わせて作っています。
トランス脂肪酸っていう欧米では禁止されている発ガン性物質が、日本ではドレッシング等あちこちで使われているのが現状なのですが、それでは良くないと思い自分達で作っています。
【所長】それにしても大変繁盛しており、チラッと来店したのでは入れない状態ですね。
【店主】最近は土・日に入れないお客様が月曜や火曜日に来て下さる様にもなっています。40年近くやっているので、当時幼かった方が実家に帰ってくると、お子様を連れてやって来てくれたりもします。
とても有難い事に、ファミレスやコンビニのCMでとんかつが宣伝されると、この店にもドーッとお客様が来てくれるのです。
【所長】非常に忙しそうですね。体力も使われますし、やはり休養も必要ですね。
【店主】そうですね。休みは水曜日なのですが、帳簿付けもしておかないと丸一日、休みが帳簿で潰れてしまうので毎日ちょこちょこしていますよ。水曜も夕方からは店に入らないと段取りが付かないですし、掃除も日々徹底していないと大変な事になるので天井から床から全部やります。
ご家族で来店されるお客様では、小さいお子さんが裸足で床を歩いたりする事もありますから、常に綺麗にする事を心掛けております。
【所長】そういう意味では丸一日の休みは無いのですね。
繁盛の割にはもう少し収入があってもいいと思うのですが、単価を上げないといけないのでは?
【店主】うーん。でもどうでしょう。その辺りはね、人件費がない分の利益がでますから。
【所長】個人営業だから出来るのですね。誰かを雇えばその分人件費がかかるので、こだわりの仕入品を、この価格で提供する事はなかなか(他店では)難しいでしょう。
こういうお店のモデルを作ったら、他店はなかなか競合として入って来ることが出来ないですね。とんかつ専門のチェーン店等もありますが、やはり全く違います。また足を運びたくなるお店というのは、食材や技術は基より、美味しく食べられる雰囲気も大切にされていますよね。
【店主】雰囲気と言えば、妻がちょっと天然な感じですごくファンが多いのです。お客様も話しやすいのか、よく人生相談されたりもしていますよ。
【所長】それは、お店の隠れた良い要素ですね。
【店主】そうなのです。結婚して25年位経ちますが私も怒られた記憶がなく、私が怒っても向こうはカッとはしないですね。その雰囲気でいつもお客様に接してくれるのが良いのだと思います。
【所長】本日はどうも有難うございました。最後に一言ありましたらお願い致します。
【店主】食材の仕入れについて、一言お話しします。
豚はデリケートな生き物なので、大きなショックやストレスを与えてしまうとお肉が酸性になってしまいます。小さなゲージの中に50頭位入っていると、肉質も落ちてしまいます。
現場を見に行ったりもしたのですが、大きなゲージだと脂身は良いし、臭いもなく甘さもあるのですが、運動をしすぎると赤身が固くなってしまうので、付き合いのあるお肉屋さんと行ったり来たり、話し合いも随分しました。
業者さんに徹底してもらっているのは、ただ商品を流すのではなく、私が少し目利きできる分、お客様からお預かりするお金でお肉を買うので、今度はあなたが、うちのお客様の代わりにちゃんと良いものを出して下さいねってお願いしているのです。
企業名 | 株式会社ガロ |
---|---|
業種 | 美容室 |
住所 | 埼玉県さいたま市浦和区 北浦和1-1-3 |
電話番号 | 048-813-6055 |
HP | HP |
今回は、さいたま市浦和区を中心とした美容の多店舗展開を行い、他が真似できない独自の美容を目指して実行中である㈱ガロ様にお伺いし、荒木社長にお話しを伺いました。
【奥山所長】(以下所長)まず始めに、「ガロ」ってとてもユニークな名前ですよね。どのような経緯でつけられたんですか?
【荒木社長】(以下社長)私共の創業者の会長が美容室を作った時に、アーティストが自分の姿を表現できるような画廊と言う意味でつけました。
【所長】なるほど、「画廊」が名前の由来になっているんですね。
ガロさんと言えば歴史のある会社ですが、会社として経営を維持していくのが難しい美容の世界でずっと継続されている秘訣は何でしょうか?
【社長】創業して38年になりますが、ずっと続けられたのはその時の変化に対応してきたからと言うこともありますが、やはり「人」ですね。人をいつも大事に育成していくことが継続できたことの一番の理由だと思います。
【所長】現在7店舗で経営をなさっておりますが、独立志向が強い美容院の世界でどのようにガロさんは多店舗展開されていったのでしょうか?
【社長】多店舗展開で同じサービスを提供するにはそのお店独自の「しくみ」を構築しないといけません。独立に関しては美容は個人の技術によるマンパワーでやっていく世界なのでいくら「しくみ」を構築しても独立される方はいます。
良くなってきたなと思うと独立していくことが何度もありましたね。以前は需要が沢山あったので独立しても新規のお客さんでカバーできましたが、今は独立者がおりますとそのまま数字に穴が開くことになり、ここ10年は本当に厳しい環境になりましたね。
【所長】ガロさんの美容の特徴というのはどのようなものですか?
【社長】お店に来て頂いたお客様を綺麗にすると言うスタイルはどの美容室も同じだと思いますが、ここ数年でその流れを変えようと努力しています。
【所長】と、言いますと?
【社長】それは「スタイルを売るのではなく、お店を出た後のお客様の生活を変える」というところに力をいれています。
美容室の多くは来てくれたお客様にスタイルを買って頂いて、お店を出る時は綺麗なんです。でも、次にお客様が戻って来られた時にはそのスタイルが崩れてしまっている。。。
それが今までの美容室だと思うんですね。
しかし私たちは、店を出られたお客様の1ヶ月、2ヶ月の生活をつくろうと、そちらを今お売りしています。
【所長】お店を出られた後のヘアースタイルが長持ちするようにフォローアップをされているということですね。
【社長】そうなんです。1カ月2ヶ月先まで綺麗というのをお客様に提供するには技術開発が今までと変わるんです。いわゆる感覚の技術ではそれはできないですね。スタイルもそうですが、色に関しても1カ月、2ヶ月先を計算できる技術が必要になりますからね。今までの技術は捨てて、新しい技術開発にしました。
【所長】なるほど、今まではお店を出た時が一番綺麗で、後はお客さん任せということでしたが、次にお店に来てもらう期間まで計算してスタイルを提供しているということですね。
【社長】お店に来てくれたお客様にスタイルを売っているだけでは駄目だと、お客様に生活を売らないと厳しい美容の業界では生き残れないという結論に至ったんです。
そのことを見つけるにはとても時間がかかりましたが、時間がかかったおかげで宝ものができました。「美容師がいない毎日もキレイ」というコンセプトです。
ここから生まれた商品(メニュー)の1つは早くもコンセプト通り、お客様の生活の一部に入って活用されているという今までの美容では起きなかったことが生じています。この商品はお客様がご自分で次回の来店をつくられるんです。
【所長】それは、完全なリピーターということになりますね。
「生活を売る」ということを、美容室を経営されている方がやろうとして、すぐに出来るものなんですか?
【社長】いいえ、すべての社員が一貫して同じ技術を習得しないとできないものです。そこには高い意識改革が必要になりますからね。
【所長】美容院といえは女性のイメージが強いですが、男性も増えてきましたよね。男女比についてはどのような割合ですか?
【社長】男性のお客様も沢山お店に来て頂いていますよ。特に営業職の男性の方が多いですね。割合としては三分の一くらいはいらっしゃるんじゃないでしょうか。
【所長】男性のお客さんに対してもスタイルと生活を売るという方針は変わらないということでしょうか?
【社長】そうですね、女性のお客様に対しても、男性のお客様に対しても、我々のスタッフがはじめに「毎日どうでしたか?」と声をかけます。今までは、「どんなスタイルにしますか?」って聞いてたんです。
【所長】なるほど、聞き方が変わるんですね。
【社長】ただ、これをやっていると利益があがりません(笑)
売上を追っかけていたらこの意識改革はできないんです。ですから、売上を待てる経営者で本格的にこれをやってみようと思わないとできないことだと思います。
【所長】ところで、4Dという言葉を掲げていらっしゃいますが、どのような意味があるんでしょうか?
【社長】はい、以前、プロのコピーライターの方とお話する機会がありまして、そこでDeep。Design。Draw。に生活の時間軸としてのDays。この頭文字をとって4Dと呼ぶことに決めたんです。3Dの立体のスタイルだけではなくて、時間が入る訳だから、四次元の4Dですよ!
ってことになりまして。
【所長】スタイルだけではなく、生活を提供するという社長の想いは社員の方々も一緒でしょうか?
【社長】戻ってきた時がキレイ、その為に全てをやる。そのやり方が今までと違うという経営の「形」が伝わっても「想い」が社員に伝わらない時もあります。ですから想いの部分を社員とじっくり話して共有していかないといけないと思っています。ただ、先日社員の一人があるところで、4Dは1軒の美容室の成長ではなく、美容の新しい成長ですと語ってきました。うれしかったですね。美容の未来をつくると、全社員でとりかかったことが現実化しています。
【社長】今日はお忙しい中ありがとうございました。今後の益々のご繁栄をお祈りいたします。
企業名 | 株式会社シー・アイ・エー |
---|---|
住所 | 東京都渋谷区宇田川町6-15 |
電話番号 | 03-3464-5690 |
HP | HP |
今回は、株式会社シー・アイ・エーにお邪魔し、シー・ユー・チェン社長にお話を伺いました。
【奥山所長】(以下所長)御社は戦略的なコンサル会社とも全体プロデュース会社ともいえる、とてもユニークかつ、大変なご活躍をされている会社ですが、会社設立を思い立ったきっかけはどの様な事だったのでしょうか?
【陳錫豫社長】(以下社長)私は若い頃、マガジンハウスの編集等の仕事をしており、その後ファッションや繊維関係の会社に入りました。バックグラウンドがあったアメリカで飲食業を立ち上げ、独立したのはアメリカでしたが、建築家・施工家はこう使わなければならないのだなと自分の事業をしながら難しさを感じ、当時事業主として、もっと総合的に頼める人がいたらいいのに、と思っていました。
日本では繊維会社開発のコンサル仕事を2年位しており、日本にはデザイナーや専門家はいるが、専門を融合した形で物事をもっと広くとらえる人がいないなと感じ、海外にいた経験から、建築家やデザイナーを使って設計・建築などを基盤にプロジェクトを始めたというのが当時の状況でした。
【所長】さりげなく海外の建築家を呼んだりして、一緒にやっていますよね?
それは、昔からの自分のネットワークが作られていた訳ですね?
【社長】そうですね。当時、雑誌の取材等をやっていて、人材のネットワークを築くことができました。その為、シー・アイ・エーという会社を作る時に、新しい創造ができる能力を持った人達の集団という形で会社を作ることができました。
30年間無借金で、コンサルだけでやってこられた事に大変感謝をしています。
バブルの頃はデザイン主体でしたが、バブルがはじけ、もっとビジネス戦略を練らないとこれからはやっていけないと痛感しました。小売業をきっかけとして外資系の企業が日本へ入ってくるようになってきた為、総合的にブランドはどうコンサルした方がいいのかな?と考え始めた頃、ちょうどユニクロさんと東証一部上場の時にお会いすることができたのです。
日本のブランド実績をつくるという時期、色々なブランドがユニクロみたいになりたいねというお話から、様々な相談が舞い込むようになってきました。
トータルコンサルタントとして進出のサポートをする我々が非常に便利に感じてもらえたのだと思います。
【所長】ユニクロや青山フラワーマーケット等、ユニークな小売業のお店を手掛けていらっしゃいますが、ユニークな形といえば、手堅い東京三菱銀行に次世代型金融店舗を提案されましたね。そのお話はどういう経緯からだったのでしょうか?
【社長】当時担当していた役員の方から銀行をユニクロみたいに小売業化させるのはどうしたらいいだろうという相談があったのです。当時、銀行としては富裕者層に対して訪問販売をしている時代でした。海外の銀行は資産運営に関してずいぶん進んでいたが、日本は出遅れていたところがあったのです。そこで資産運営に対する教育を全部一体化できる場所がつくれないかという話になりました。まず、渋谷で実験的に店舗を作ってみて、どの位の資産運用高が確保できるか試してみたら、倍近くの数字を達成することができました。実験店舗を関西にもう一店舗作ったところ、非常に成績が良かった為、全国に拡大展開していったのです。
最初から結論を出すのではなく、プロトタイプを一緒に議論しながら作り、運営しながら出てきた改善点を一つ一つ潰し、完成系にもっていってから拡大していく事に力をいれています。
他のコンサルティング会社だと、戦略・リサーチで競合との差別化のポジショニングをし、提案をして終わりという所が多いが、我々は、そこからどのようにして具現化をするのかに力を入れています。
それぞれのプロジェクトごとに専門家がいるはずだから、分野ごとにリサーチして内容に合ったチームを集め、プロトタイプを一緒に作っていくという作業を半年から一年かけて行うという形をとっています。
【所長】具現性を持った総合戦略ですね。
【社長】そうですね。実際にやってみないとわからないですもんね。コンサルティング会社から言われた事はわかっているが、それをどうやったら具現化できるかな?という相談は実際によくあります。計画段階では見えているが、実行・実感ができないという形で終わってしまってはいけない、それをきちっとやらないと結果がでないと思うのです。
【所長】トータルでみると受注型でオーダーがないと仕事にならない経営ですよね。
経営者としてみたら心配ではないですか?
【社長】売り込みにいかない会社ですが、仕事がないなぁという頃にオーダーが入ってくるという状況で、ラッキーだなと思っています。ただ、一つ一つのプロジェクトをヒットさせないと、次には繋がらない。失敗したら次はないと思っているので、可能な限りのプロトタイプが完成していく事にこだわっています。
【所長】現在のプロジェクトでは、三期目の工期に入っている横浜のサウスウッドの看板が大きく出ていますね。
【社長】そうですね。場所は横浜のセンター南駅で、港北ニュータウンです。
これから低炭素化社会になっていくという中で、持続維持に貢献できる商業施設はどのようになっていったらいいだろうという課題が入り、日本で初の低層耐火木造の大型商業施設を作ってみようという案から始まりました。
コンクリートではなく低層の木造で自然な景観、なおかつ計算上1400トンのCO2削減に貢献、また国土交通省からの助成金確保で建築コストの低減も実現できました。
日本の耐火構造とは、一時間燃えた後でも建物が立っていなければならないが、モルタルのレイヤーが柱の中に入っている為、外は燃えても中の構造柱が一時間の火災後もしっかり残り、建物も建っていられるという竹中工務店さんの技術を取り入れた形になっています。
地域住民の新しいコミュニティー創りを目指しています。
【所長】こういう時代の波もあるのですね。今後どういう仕事を手掛けていきたいですか?
【社長】高齢化社会の日本の中で、僕たちの会社は社会に貢献するために何ができるかという事です。震災後の日本にとって、ローカルのコミュニティをどうやって活性化するか、もっと日本を元気にする、新しい日本のアイデンティティはどうしていったらいいかを意識しています。
どうしても我々は、今まで生きてきた価値観を基にこうあるべきだというのを引きずっているが、それを良い意味で壊しながら進化させるにはどうしたら良いかを考えています。元気な30~40代のアイデアを強化したいが、いくら良いアイデアやネットワークがあっても具現化していく為には成熟している高齢者の経験や知恵を持ち寄る事が必要。若い人たちの案とミックスしていくにはどうすれば良いかというのを今朝も社員と話していた所です。
【所長】素晴らしい発想ですが、他社が真似をするという事はないですか?
【社長】今のところ、同じような事をやっているという会社は、まだ出てきてないですね。
意外とうちにくる仕事は難しいプロジェクトが多く、自社内でもなかなか出来なかった・社内でコンセンサスが得られないというケースが多いのです。
その場合、我々は意思決定する方々のヒアリングをした上で、社内でコンセンサスが纏まり、こういうプロジェクトで進めて良いですか?というまでのコンサルを、スペシャリストを介してかなりきめ細かくやるので、他社にとっては面倒くさい・複雑という部分があるのだと思います。
【所長】新航空会社のピーチですね。
【社長】新会社のブランディングをするという事で、機体デザインも200機くらい提案して選ばれました。香港側の投資家グループとANAのジョイントベンチャーでしたので、アジアに通じる名前という事で、ピーチ(桃)は、中国では長寿でおめでたい・日本では可愛らしいという意味で採用がされました。
【所長】こういう受注額というのは、最初から決まっているのですか?やりながら段々と固まっていくのでしょうか?
【社長】この場合は投資額が決まっていましたから、ブランディング・デザイン・ロゴ・ネーミング・ユニホーム等々、パッケージでいくらという形でした。
今回はコンペだったので、7~8社でデザイン会社が選定されていたのですが、やってみる?というお声掛けをいただき、急遽参加しました。格安航空によって消費者のライフスタイルがどのように変わっていくかという提案でブランディングを行ったら内容が面白いという事で最終的に採用をしてもらえました。面白い内容となるとアイデアもどんどん出てきます。やはり面白く仕事をするというフローはとても重要ですね。
【所長】新規受注も色々あった方がいいですね。
【社長】新規はやはり楽しいですよね。
我々も難題になればなるほど、どうやって勉強していくか、どうやって専門家を見つけていけばよいかという、常に人材の仕込みをやっていかなきゃならないですし、そういう意味でもチャレンジはすごく面白いですね。
企業名 | TakedaWorks株式会社 |
---|---|
住所 | 大阪府門真市四宮5-6-33 |
電話番号 | 072-882-8833 |
今回は大阪府門真市四宮でジョイント、ロータリージョイントを製作していますTakedaWorks(株)様に訪問いたしました。
【奥山所長】(以下所長)こちらの会社は旧(株)武田製作所から苦労して立ち上げた会社だと聞いていますがその当時はどんな苦労がありましたでしょうか
【原社長】(以下社長)そうですね。債権者なり取引先様に非常にご迷惑をおかけしてしまったなかで又新たに私達が企業を立ち上げるという逆の考えのもとで立ち上げたという事は、かなり精神的、金銭的にも苦労がありましたね。
【所長】しかし、その時やれると又はやってやると云う思いはやはり自社製品にメーカーとして自信がおありになったのですか。
【社長】そうですね。この会社は特殊な製品を造っているのと他社には出来ない物を我々がしていて、大仰な言い方すれば社会貢献しているのではないかと、とりわけ食の安全を守るのは社会の要請なのではないかという事で始めたのです。又、既に旧武田製作所時代からお取引頂いていた数社から再開してほしいと要望があり決意した訳です。
【所長】その自信を持っている製品の主たる品目はどういった物でしょうか。
【社長】今、大阪工場で組み立て生産している製品については、食品の生産ラインで使用する充填機でフィーラー装置の重要な部分の中心に設置するロータリージョイントという製品です。
【所長】先程拝見した限りでは、海外で製作するところにはコストで負けてしまうのではないかという恐れがあるのと思うのですがその辺りはどういうノウハウをお持ちですか。
【社長】今のフィーラー装置のロータリージョイントについては法律上高い精度にしないと食品衛生法上問題が起こります。又海外に出荷しますので比較的高い管理をしているFDA(アメリカ食品医薬局)の管理システム等をクリアしながら、かつ長寿命で安定的に運転が継続できるという事を目指して製作してます。
【所長】と云う事は、そうゆう品質管理なり実際に高度な製品を製作する為には海外で簡単に製作する訳にはいかないという事ですね。
【社長】当社でも外注先に対して当社が図面にしたものを要求事項として製作依頼するわけですけども、外注先も高い技術を持っていなければ製作できない物も私共は要求していますので国内で製作した充填機自体も国内で生産してますから値段も高くつきますがそれにも勝る性能という付加価値と食の安全安心を求められているマーケットに出荷していると、それが高コストとなっていても受け入れられている要因になっているのではないかと思います。
【所長】この度、世界のオンリーワンを最近造られたとの事ですが。
【社長】そうですね、大手飲料メーカー様の要求でガスと液体を同時にフィーラー出来き、なお且つロータリージョイントのメカニカルシールという中部の装置が汚染されますがそれも同時に洗浄液で滅菌出来ますそれも機械を稼働したままで操業できる装置を造りまして一号機出荷しました。
【所長】今会社の総員は8名という事ですが比較的少人数で行っている様ですが、今のお話にあった様にオンリーワン的なものを造っていくとだいぶ受注が増えて社内の規模も増加させなくてはならないと感じるのですがどの様に考えていますか。
【社長】私共は会社の目的として規模の拡大を第一の挙げているのではなくて、まず収益性を常に勘案しながら経営判断しているという中で次の新型を生産するにあたって需要がどの位あるのか判断をしたうえで人材を雇用したり設備投資をしたりしていきたいと思いますが、まず需要の見極めが第一ではないかと考えます。
【所長】一方で海外生産も視野に置かれている様ですが、現在どんな状況ですか。
【社長】高度な充填機の装置に関しては今後も純国産で生産していかないといけないと思います、私共が今考えているのは国内や中国又はその他海外に販売しているシンプルで大量(500個600個単位)に提供されている物の部品は海外製作し、開発は国内でやり、消費場所で組み立てて販売していこうというコンセプトの基に、現在東アジアから展開を始めようと考えています。
【所長】それは充填機以外ではどうゆう物を。
【社長】それはかなり多岐にわたっておりまして、繊維から製鉄といった幅の広い業種に行き渡る様な標準品と言われるもので、金額そのものは小さいですけども数が出るように期待しています。
【所長】その標準品の単価としてはどのようになっていますか
【社長】そうですね、サイズが10種類位ありまして、小さいものは手のひらサイズで、大きいものはバケツ位のサイズで、大小様々で価格としては1万円位からあります
【所長】それもロータリージョイントなのですか。
【社長】そうです。ロータリージョイントと呼ばれるもので比較的消耗品的に使用されるアイテムですね。これはオーバーホールしないで新しく交換してしまいます。
【所長】どの位もつものなのですか。
【社長】使用頻度にも依りますが3年から4年、長く持って10年位です。
【所長】という事は又再注文が出るとゆう事ですね。
【所長】一方では充填機の質の高いものとリピートのある大量生産型の両方があると大変な強みですね。
【社長】そうですね、需要の隙間をなるべく埋めていって収益をあげていきたいと考えています。
【所長】今、売上や利益率とかなり立派だなと思っているのですが、それは売値を意識しているのですか、それともコスト面を意識しているのですか。
【社長】大阪工場で生産している物はかなり高価なものですけれども、ユーザー様がその装置を附けられた時にコスト以上に生産効率が上がるというものなので、ユーザー様にとっては一本当たりの充填機の価格というのは操業を止めずに廻し続けられるという事で、。かなりのコストダウンに繋がると云う事になりますのでユーザー様も使用して下さると考えています。
【所長】お話を聞いていますとこれからまだまだ発展の可能性があり、期待をされる会社だと思いますので、これからも頑張って下さい。本日はありがとうございました。
企業名 | 株式会社 東和サプライ |
---|---|
住所 | 東京都墨田区横川5-10-1-105 |
電話番号 | 03-3625-5400 |
HP | HP |
【奥山所長】(以下所長)今かなりベトナムに行かれているようですけど、きっかけはどのようなものだったのでしょうか?
【和田】初めてベトナムに行ったのは8年前で、その時10年後にはベトナムに工場進出してもいけるんじゃないかと思いました。
その後すぐにベトナム人研修生を受け入れました。
去年の2月に本格的にベトナム進出を考え、ベトナムで協力(下請け)会社を探し、その年の夏に土地を購入し今年の8月に工場が完成します。
【所長】場所はどちらでしょうか?
【和田】ホーチミンから約20km離れたロンアン省ロンハウ工業団地というところです。
【所長】ロンハウの工業団地ですか?新しい工業団地ですね。
そこを選んだ理由はどういったものですか?
【和田】ベトナムは土地の購入ができませんので、借地期間の長い新しい工場の方が有利であること、ドバイ・UAE・サウジアラビア方面に輸出するため港に近いということ、あとは商業都市のホーチミンに一番近いということが理由です。
【所長】ベトナムに日本企業を誘致しているJESCOという会社を御存知ですか?
【和田】知っています。
【所長】私、その会社の顧問をしていまして、その関係で一昨年ホーチミンを見に行きました。
ところでベトナムに進出される理由は、日本の立地条件では製造業としてやっていくには厳しいということでしょうか?
【和田】日本国内の販売では単価的に問題ないのですが、海外に輸出する場合全く勝負になりません。
韓国や中東への需要はあるので、ベトナムで製造しようと考えました。
【所長】ベトナムの研修生を受け入れて相当たつようですが、ベトナムの方はどうですか?
【和田】今3人目の研修生を受け入れていますが、過去の二人は現地で働いてもらっています。
第一期生のベトナム人(ソン)には現地法人TOWASUPPLYVNの代表取締役社長です。
一般的にはベトナム人を社長にするなんてとんでもないと思われますが、私はそうは思いません。従業員の家族とは家族ぐるみのお付き合いをさせていただいており良好な関係を築いています。
【所長】向こうでオートバイにお乗りになっていますか?
凄いですよね、向こうの道路状況は?
【和田】もちろん乗っています。見ている分には物凄く危険に感じますが、スピードが出ていませんし流れに乗ってしまえば、日本より安全かもしれません。
【所長】御社の主力製品は延線機とのことですが、これはどういったものでしょうか?
【和田】電線などのケーブルを上下左右に送り出す機械です。
特徴としては、ゴムボールでケーブルを押し出しますので手を挟んでも怪我をしないことや、押し出す構造なので複数台で利用出来より大きな力を発揮します。
実際、スカイツリーや六本木ヒルズ等の高層ビルでも利用されています。
【所長】この機械は特許などを取得しているのですか?
海外で製品を製造するとすぐ真似されてしまいますが、その点大丈夫でしょうか?
【和田】大丈夫です。機械の構造自体は非常にシンプルで真似するのは簡単ですが、このゴムボールを真似することは難しいです。
ゴムは製品化されてしまうとゴムの配合を分析することは不可能なので大手でも製造出来ないと思います。
また市場規模が小さいため大手が参入するほどの物でもありません。
【所長】まさにこのゴムボールが生命線ですね。このゴムボールはどちらで作られているのですか?
【和田】同じ墨田区内の多賀美ゴム工業?鰍ナす。そちらの社長は私の父親と同級生でして、二人でいろいろ試行錯誤して造ったようです。
ベトナムでもこのゴムボールだけは製造できませんので日本から輸出することになります。
ただしベトナムではゴム製品の輸入に制限がありますので、そこをクリアするため現在いろいろ模索中です。
【所長】ところでベトナムの工場ではどのくらいの売上を考えていますか?
【和田】今はまだ具体的な売上は考えていません。
アジア諸国ではまだ危険な工事が行われているので、当社の製品を使って安全に作業をしてもらいたいです。そのためにまず売上や利益よりも東和サプライのMADEINJAPANの製品を広めたい気持ちが強いです。
【所長】今、ベトナムに進出している日本企業は多いですね。
実際進出してみてご苦労はどうですか?
【和田】信用金庫などが海外への誘致などを行っていますが、基本的に彼らは良いことしか言いません。ベトナムは社会主義であることや国がまだ若いことからいろいろな手続きが面倒です。十分な資金と時間を費やさなければうまくいかないと思います。
【所長】工場の見学はさせていただけるんでしょうか?
【和田】いつでも見学していただいて結構です。
中小企業で進出している会社が少ないのでよく問い合わせが来ます。
実際取引先の信用金庫でケーススタディにさせてほしいと言われています。
【所長】ではベトナムでのご活躍を期待しております。
企業名 | 川口新郷工業団地協同組合 |
---|---|
住所 | 川口市本蓮4-3-38 |
電話番号 | 048-285-1766 |
HP | HP |
【奥山所長】(以下所長)今日はお時間を頂き有難うございます。さて、川口では立派な工業団地ですが、昔どうやって出来たのでしょうか?
【石川理事長】(以下理事長)川口は、昔から「住工混在の町」で、駅前周辺にも鋳物工場があったり機械工場があったりし、工場のそばには社員達が住んでいました。
段々に町が発展し川口以外からの人が住むようになると、住工混在地域ですから、公害問題が起きました。
そこで工業団地を川口市で造成し、公害を出す企業やモノ作りをする企業を移転させようという計画のもとに「新郷工業団地」が出来あがった訳です。
【所長】昭和45年設立と伺っていますが、その頃理事長は?
【理事長】まだ高校3年生でした(笑)。
その当時、石田さんという非常に優秀で且つ"力"が有って実行力のある県会議員さんがいらっしゃいまして、工業団地の設立を強力に推進されました。
その御蔭もあって、立派な会館や工業団地の礎が作られ、亡くなるまで理事長を11年間位続けられ、立派な工業団地にして頂きました。
【所長】現在、組合員は83社と伺いましたが、殆どが地場の川口の会社が入られたのですか?
【理事長】当初組合員の方々は、地場産業出身の方々でしたが、その後景気の変動もありまして、多少他の地域の方々も入っております。
当組合は、非常に便利な場所です。
高速道路の傍ですし、最近都内(日暮里)へ向かうモノレールも出来ましたので、流通・移動に大変便利な工業団地になりました。
【所長】そういう意味では"空き"は出ないですね。
【理事長】そこなんですよね。全く出ない。待っている企業がかなりあります。
【所長】もう拡張はできないのですか?
【理事長】この周辺地域では住宅街が大半で、川口市としての「工業専用地域」はここだけです。
埼玉県でみてもこの様な工業専用地域はここくらいです。これ以上広げるのは難しいです。広げるとすると工業団地の各建屋を2階建てにするしかありません。
「青年研究会」という事業後継者が集まる若手の組織があって、そこの議論では2階建てにしようという話もあるのですが、将来の夢としてとっておきたいなと。
【所長】理事長になられて8年ですか。
【理事長】今年で9年目になります。
【所長】理事長としてのご苦労はいかがですか?
【理事長】工業団地や組合の理事長という職責は、60歳位になられた経験豊富な方が務めるというのが過去多かった様です。
ところが、私は50歳前後で理事長職を拝命したものですから、"若い"ということで先輩方から様々な教育をして頂き、御蔭様で最近になって、自分の色を出せる様になりました。
【所長】最初は今までのやり方を踏襲して、少しずつ改革されてきたのですか?
【理事長】改革というより、より良くしていったという自分なりの自負があります。
【所長】日頃、最も気を遣われていることはどんな事でしょう?
【理事長】"組合員さん同士が仲良くなくてはならない"という事です。
組合は何の為にあるのか、組合員の為の組合だということを念頭に置きながら、私は一組合員であるのと同時に、組合の理事長でもあるので、組合員さんの事を考えなくてはいけない。
組合の事務方の職員さんにも、常々組合員さんの為の組合だという事を考えて下さいと話しています。
【所長】こちらが優れていると思うのは受電設備、送電設備がしっかりしている点です。
これだけの設備は、他の組合ではあまりないのでは?
【理事長】当組合は、東京電力さんから高電圧の電力を購入し、当組合の設備により実際の需要家である組合員さん各社が利用可能な電圧まで変圧し、これを当組合所有の電柱等の送電設備にて配電致しております。
こうした受配電協同組合は、埼玉県では春日部豊野工業団地さん、他では名古屋に各務原工業団地さん、私の知っている範囲では日本でこの3つでしょうか。
1番古いのは当組合ですが、森前理事長さんが受電設備の更新をして下さった御蔭で、今後30年位は大きな設備投資を行わずに稼働出来るのではないでしょうか。
【所長】3.11(東北震災)の時はいかがでしたか?
【理事長】お陰様でこの会館はなんともなかったし、組合員さんで大きな被害に遭った方もありませんでした。元々この土地は沼地でしたから、本来は地盤が悪いのですが。
【所長】基礎がしっかりしていたのでしょうね。
【理事長】そう思います。
【所長】東電さんの節電要請では大口需要家ですよね。
【理事長】当組合は7280kwなので。500kw以上が大口となり、経産省から通知が参りました。
節電努力として6100kwまで落とさなくてはいけなかったのです。
【所長】どうされたのですか?
【理事長】節電会議を開き大口需要家さんを説得し、さらに中口需要家、小口需要家さんにもお願いしました。皆さん輪番制で月~金の間で大口さんは必ず1日休んでいただく、そこに中口、小口さんが加わって、総合的に消費電力を落とそうと。
【所長】うまくいきましたか?
【理事長】お陰様で95パーセント位はうまくいきましたが、3~5%位は少しオーバーしました。
【所長】理事長が率先して始められたことに 「ばんばん祭」がありますね。
工業団地では珍しいと思いますがどの様なお考えで始められたのですか?
【理事長】森前理事長さんまでは工業団地の基礎を作る時代、我々は次の世代への橋渡しの時期だと思っています。工業専用地域といいながらも、隣は東京都の住宅街、その反対側は川口の住宅街ということで、騒音や煙で随分もめてきました。
工業団地に直接言ってくれた方がスムーズにいくのに、中間に市役所や警察が入って、話が拗れたりして色々な問題が起きました。
もっと近隣とコミュニケーションを執らなければいけないな、組合員同士も仲良くしなければいけないと考えました。
そこで組合員の皆様と協力し合って「お祭りでもしよう」というのがきっかけです。
【所長】大変素晴らしい発想ですね。
【理事長】有難うございます。
【所長】写真も拝見しましたが、子供たちも楽しそうですね。
【理事長】当初は子供さんが多かったのですが、去年位からは若いカップルの方々や、車椅子のおばあちゃんと子供さんが来られたりして、小学生同士が連れだって来たりと、色んな方々が参加して下さっています。
「地域のお祭り」になりつつあると感じます。
特に今年はお金がないので、恒例の「まぐろの解体販売」を止めようかという話もありましたが、地域の方々から「是非やってくれ」という要望がありまして、本年も執り行いました。
地域の方々から直接お話をいただけるくらい、地域とのコミュニケーションが取れていると感じます。
【所長】理事長になられてから数年して始められたのですよね。
【理事長】4年目です。
【所長】東京の人も川口の人も参加しているのですか?
【理事長】足立区の都住舎人自治会、川口の東本郷南町会、江戸袋町会。最近では他の町会も仲間に入りたいと言う声もあります。地元の人からは、入れてはダメだと言われていますが。(笑)
【所長】中学生のブラスバンドはどの様な経緯で?
【理事長】第一には地元の方に出演してもらいたいという事。また中学のブラスバンド部の「発表の機会」が少ないと聞き、皆さんに披露する機会を作って紹介してあげたい。1回目と比べると参加者が増えて、いい発表の場になっていると思います。
【所長】参加者はどの位ですか?
【理事長】今年は3000~3500人位、去年はもっと多かったのですが今年は雨で減りました。
【所長】理事長は明るく派手にやるという傾向がおありですよね。
【理事長】年々金額が増加気味にあります。
【所長】理事長の明るさやリーダーシップは組織の長として大事ですね。
【理事長】有難うございます。組合運営上変えた事は、「任せたら任せ切る」方法にした事です。
以前は各委員会に理事長、副理事長、専務理事が出席していました。
今は基本的には執行部で打合せをして、方針は決めさせて頂きますが、あとは各委員会の自主性に任せて、そこで決まったことは尊重して行動します。
こうした事で各委員会が活性化され、意見もどんどん出てくるようになりました。
時には私の行きたい方向と違うこともありますが、それは仕方ないと思っています。
【所長】中国からの実習生はどのような形で受け入れているのですか
【理事長】四川省の対外友好協会と当組合が海外研修制度の窓口になり、実習生に来て頂いています。
【所長】通常は企業がやりますよね。人数はどの位ですか?
【理事長】現在全部で100名位です。期間は3年ですから平均すると33人位毎年受け入れています。
【所長】日本語を覚えて帰国されますか
【理事長】個人差がありますね。専属の通訳が二人事務所に常駐していますので、困った事があればすぐ飛んでいきます。
コミュニュケーションの面では双方ともうまく行っております。工業団地の良いところはこれですね。
【所長】最後に理事長の今年の抱負は?
【理事長】最近ベトナム・韓国・中国等に行くと東南アジアの活気を感じます。それに比べ日本は停滞していて、「日本の技術が海外に流れている」のか、もしくは「東南アジアが勉強してどんどん技術力を上げている」のか、日本は追いつかれていると感じます。
工業団地が保有している土地があるので、そこに技術を集積したような頭脳集団に優先的に安い家賃で入っていただいて、そこで開発したものを工業団地で作っていきたいと考えております。
運営自体は赤字でもその成果が組合員に還元されればいいと思います。
最先端の技術をすぐ具現化できるようにしていきたいものです。
【所長】通いやすいですし、頭脳を含め、集合させやすいですよね。
【理事長】「モノ作り」として集積していますからあとは「頭脳」です。
【所長】こういう夢があれば、工業団地としてまだまだ発展していけると思いますね。他の工業団地、特に東南アジアでノウハウを伝授するとか、ここの子会社を海外に作るとか、提携するとかあって良いように思いますが。
【理事長】4~5年前に「韓国のケリンの工業団地」と交流を持ちましたが、相手も日本に教えを乞うという時代ではなくなっていると感じました。
今回、ベトナムに行ってきましたが、ベトナムで工業団地として造成した場所には、日本だったりヨーロッパだったりしていますが、かなり優秀な企業が入っています。
しかし、ここのような中小企業が集まった工業団地は、海外にはありません。世界では珍しく日本には中小企業が多く、そして日本を支えています。
【所長】中小企業が海外に進出する手掛かりとして工業団地がインフラとしてあれば行きやすいと思います。
【理事長】組合員さん83社は、業種も各々違うので、何でも出来るなと思われるかも知れませんね。日本で頑張っていきたいと思いますが、海外も第2の生産地として考えていかなければと認識しています。
【所長】今のままだと円高・高齢化等の問題で、行き詰まる可能性がないわけではないです。
【理事長】あらゆること、最悪の事を考えて物事に当ろうと考えています。
【所長】有難う御座いました。今後とも是非ご活躍下さい。
企業名 | 有限会社レストランまつば |
---|---|
屋号 | 越前 |
住所 | 東京都板橋区宮本町55-1 |
電話番号 | 03-3969-0887 |
代表者 | 越前 武 |
今回は、板橋区で飲食店を経営されている有限会社レストランまつば様にお伺いしました。
3月2日小雨ちらつく中、昼休みに時間を割いていただき、越前社長、ご子息の由記久氏と所長の3人にてインタビューを行いました。
【奥山所長】(以下所長) 会社名は「有限会社レストランまつば」ですが、店名は「越前」ですね。どのような経緯でこうなったのでしょうか。
【越前社長】(以下社長) もともとはレストランとして開業していたのですが、店舗の改装を機に本名である「越前」に店名を変えて再スタートすることとしました。
【所長】 もともとどのような形で始められたのですか。
【社長】 小石川にあるレストラン「松葉」にて修業をしたのが昭和32年頃です。昭和43年に独立して板橋の現在の場所で「レストランまつば」として開業いたしました。
【所長】 そうでしたか。うちとの付き合いも古いんですね。そうするとこちらの地に移られて43年が過ぎるのですね。板橋の地には何か縁があったのでしょうか。
【社長】 当時お付き合いしていた不動産会社の方から勧められて、今の場所に決めました。商店街の奥には飯田スーパーがあって、この商店街もずいぶん活気がありました。人も多くて自転車も通れなかったくらいでしたし。それを見て決めたのを覚えております。
【所長】 その当時はまだ地下鉄も無かったですよね。
【社長】 そうですね。
【所長】 何が一番売れましたか。
【社長】 やっぱりハンバーグとビーフシチューですね。下町なので、あまり変わったメニューというよりは、定番が出ますよね。
【所長】 そしてレストランから現在の店に変えたのには何か理由があったのですか。
【社長】 店舗を改装してから8年目になるのですが、その前年に狂牛病が問題になりましてね。当時はハンバーグの他にもステーキなども人気商品でしたが、全て売れなくなってしまいました。やはりこのままでは駄目だと思いまして、業態を変えて再出発をしようと思ったのがきっかけです。
【所長】 ところで、よく息子さんは後継ぐ決心されましたね。
【由記久氏】 当初は継ぐ気が無くて外食産業でサラリーマンをしていたのですが、当時の使用人が辞めることとなりまして、「帰ってこい」と声がかかりました。もともとこういう仕事が好きだったっていうのが一番にありますよね。
【所長】 この店の売りはなんですか。
【由記久氏】 肉についてはレストラン時代からスペシャリストとしての自負がありました。それを活かして、食事だけでなく、お酒も楽しんでもらえるお店にしたいという思いがありました。その時、知り合いから「溶岩焼き」を教えてもらい、実際食べてみるとフライパンで焼くより、柔らかくなり、余計な脂も落ちて旨みが増しました。新店舗にする時には一番力を入れたのは「溶岩焼き」です。
【所長】 焼き肉とは違うのですか。
【由記久氏】 火を直接あてないので、全く違う食感が楽しめるんですよ。
【所長】 肉以外に力を入れたことは何ですか。
【由記久氏】 社長が能登の出身ってこともありまして、独自の食材を送ってもらえるんです。現在では、能登の調味料「いしる」を使った料理や「ふぐのぬか漬け」などは近くでもなかなか食べられないものが多いですよ。魚をいしるに漬けたものを焼いたのは人気ですね。
【所長】 ふぐのぬか漬けですか?
【社長】 ふぐの内臓をぬかに漬けて3年間寝かせると不思議なことに毒が無くなるんです。食べてみますか?
(ここで試食)【所長】 これはお酒が欲しくなりますね。
【社長】 飲みますか?
【所長】 まだ日が高いので今日は遠慮しておきます(笑)お酒にはこだわりがありますか?
【由記久氏】 2年前くらいから日本酒は石川県のお酒に切り替えました。当店の名前のついている「越前」だけは福井県のお酒ですけれども。
今日のところでは、「宗玄」、「竹葉」、「黒帯」、「加賀鳶」、「菊姫」を置いております。「宗玄」は一番人気ですね。「宗玄」は同じ石川県でも能登のお酒なので、嬉しいですね。
【所長】 お店を「越前」にされてから、何か変化はありましたか。
【由記久氏】 客層がずいぶん変わりましたね。
【所長】 飲む人が増えたでしょう?
【社長】 そうですね。こんなにお酒が出るようになるとは思っていませんでした。
【由記久氏】 それと女性のお客様が増えましたね。改装してこぎれいにした成果かなと。逆に高そうなイメージがあると指摘されたりもしたのですが、安いイメージをもたれるよりは良いかと。中に入ってもらえれば、わかってもらえるとは思うのですが、入りやすいように外のポップを変えたりはしています。 あとは二階に座敷があるので、団体さんにも重宝していただいていますね。
【所長】 少し二階を見せていただいても良いですか。この辺にこれだけ広いお店は無いでしょう。
(ここで二階へ)【所長】 大体何人くらい入れるのですか。
【由記久氏】 20人くらいが適正でしょうか。奥に個室もあるので、ご家族連れの方にも喜ばれています。
【所長】 お子さんがいる方にとっても、個室があるのはうれしいですよね。
【所長】 最後にこだわりなどありましたらお聞かせください。
【由記久氏】 狂牛病の時に苦労したのがありまして、牛肉については全て和牛に切り替えました。ビーフシチューも和牛を使っているので、是非とも味わっていただきたいですね。それと能登の味ですね。場所柄、専門店っていうのは難しいので、子供も大人もどちらにも喜んでいただけるお店づくりを心掛けております。居酒屋みたいな感じですけれど、居酒屋では無いような。メニューもチェーン店では出せないメニューが多いです。家族経営なので、何百食売って儲けるって商売が出来ないので、良いものを適正価格で食べていただきたいと思っています。
【所長】 今日はありがとうございました。
企業名 | 三和砥石株式会社 |
---|---|
住所 | 埼玉県川口市栄町1-11-9 |
電話番号 | 048-251-5940 |
代表者 | 村田 耕一朗 |
今回は、川口市で砥石の製造販売を行っている三和砥石株式会社にお伺いしました。
【奥山所長】(以下所長) 本日はお忙しい中お時間を割いていただきありがとうございます。
【村田社長】(以下社長) こちらこそお越しいただきましてありがとうございます。
【所長】まず砥石といいますと刃物を研ぐ砥石などをイメージしますが、実際の商品はどういったものでしょうか?
【社長】たとえばこれは円盤状ののこぎり(右の写真)になりますが、パーティクルボードという建築資材の材料を切断するときに使用し、刃先はダイヤモンドでできています。
【所長】これは動いていたら、大変危険なものですね。
【社長】これは稼働時には回転方向には立ってはいけないようでヘルメット着用で作業しているようです。
【所長】業種としては、どういったものが多いでしょうか?
【社長】自動車関連や半導体関連が多いですね。
【所長】そういった業種でもこういったものを必要とするのですか?
【社長】自動車関連ではエンジンや変速機を組み立てる工具を製作するときに利用しています。
これはブローチ(左の写真)と呼ばれる自動車部品を製造するために必要な工具になります。こちらは焼入れをしました鉄で作られていまして高速度工具鋼という非常に硬い材料で作られています。
【所長】加工されるものはどういったものですか?
【社長】自動車部品の鋼材になります。同じ硬度ですと加工できませんので、加工されるものより非常に硬い材質でできています。
【所長】これは刃先がダイヤでできているのですか?
【社長】ダイヤは地球上で最も硬度の高い物質なのですが、鉄系材料と相性が悪く※1CBNといもので造られてます。
【所長】CBNの産地はやはり海外なんですか?
【社長】これは天然のものではなく、アメリカのゼネラルエレクトリック社がボラゾンの商品名で製造しております。
【所長】取引先は、海外にもあるのですか?
【社長】海外と直接取引しているわけではないのですが、国内の取引先が中国やタイなどの海外工場へ間接的に売っていただくケースがあります。
【所長】最近では、国内の材料や消耗品を海外で加工して、輸入しているケースが多いようですね。
【所長】クリスタルグラス(右写真)なども砥石を利用されているのですか?
【社長】カットを入れるためにダイヤモンドホイールを利用されています。
こちらの製品は宮内庁御用達ということで、皇室の方も利用されているそうです。
【所長】最後に御社のアピールポイントをお聞かせ下さい。
【社長】取引先に対して商品を提案させていただくことが当社としての強みです。
最初にご紹介させていただいた円盤状ののこぎりの使用時間が2時間から2週間に延長できたのはまさにその賜物だと考えております。
※1 CBN(立法晶窒化ホウ素)窒化ホウ素の分子構造の一つで、窒素とホウ素からなる固形の化合物です。
企業名 | 協同自動車興業株式会社 |
---|---|
住所 | 埼玉県川口市石神枯木前939-3 |
電話番号 | 048-295-8713 |
代表者 | 平柳 明男 |
HP | HP |
今回は川口市で福祉バスの送迎をしている協同自動車興業(株)様を訪問致しました。
【奥山所長】(以下所長) 御社は福祉バスということで非常に特徴のあるバス運送をやっていますが何故この福祉バスの送迎を始めたのですか。
【平柳社長】(以下社長) 運送会社の方たちが集まって川口市民の為に何かやれる事はないか考えて当時(34年前)川口市の民生部に相談したところ、福祉バスの送迎をする事業を立ち上げてほしいというのが発端です。
しかしその当時は障害をもった方をあまり口外しない風潮でしたので福祉バスについては理解が得られませんでしたね、さすがに今は介護の時代となりまして若い人達にも理解が得られる様になってこの会社も若い人達がやっているんだと思われたいですね。
【所長】 最初から協同自動車興業という会社名だったのですか。
【社長】 みんなでやろうとかみんなで共同という意味合いを込めて付けたと記憶しています。ただ、力を合わせての協同に変えて作った様ですね。
【所長】 興業というのは営業という意味合いで付けたのですか。
【社長】 みなさんで興こそうという事だと思いますが、当時は役員が10名位いまして少しでも役に立つ会社を興そうと喧々囂々やりあいました。
【所長】 現在はどんな事を一番のメインとしていますか。
【社長】 今はそうですね、川口市の仕事は当然メインですが学校関係で子供さん達がスポーツの遠征に行く送迎や葬儀の送迎、観光も勿論バスに関する送迎は総てやります。
【所長】 なるほど、ようするに路線バス以外の貸し切り的なこと全般ですね。
【社長】 そうです、ゴルフの送迎でもなんでもやります、しかも福祉の送迎をしていますので人のお世話をするのが得意なのでいい味出そうよ、よそにない味を出そうよって皆に気に入ってもらう様頑張っています。
【所長】 バスは何人乗りですか。
【渡辺取締役(以下取締役】 20人乗りから60人乗り迄です。
【所長】 今は順調になりつつあるという事ですが送迎をしている中で楽しい事とか嬉しい事又は喜びとか感じるのはどういう時ですか。
【社長】 そうですね、お客様から指名であの運転手さんをお願いしますとかいうのを聞くと「あ~社内で人が育っているんだな。」って思うし、運転手も指名をうけて嬉しいと思うんですよね。それから会社が明るいですね。ワイワイガヤガヤしながらコミュニケーションとってそれがお客様の情報の共有になるんですね。
【所長】 皆さんキャラクターがいいんですね。
【社長】 そういうことですね。社員が楽しく仕事出来る様に、それから人の為になるってゆう仕事ってなかなかないので他の業種では味わえない事、例えば人の手を携えてバスに乗せたりとか、それからバスに乗ってくる子供達が笑顔でバタバタッと来て泥んこでもなんでもいいんだっていう先生たちの声が聞こえてくると嬉しいですね。
【所長】 それでは最後の質問になりますが御社の特徴ですとか訴えたい事をお話下さい。
【取締役】 当社は福祉の送迎が永いのでお客様の目線に立った、相手の立場に立ったという事は、30年間やってきているので今後はその事を一般貸し切りにも活かしていきたいと考えています。
【所長】そういう事を理解してもらうと利用者が増えるかもしれないですね。
【取締役】そうです。リピーターというか何度も繰り返し利用して頂けると思います。
【所長】それで決してお値段は高くないと。そうすると私共の事務所の関与先の方で利用したいとしたら可能なわけですね。
【社長】是非、利用して下さい。一般的な料金よりも2割程安いですからお願いします。
【所長】アピールしてみたいと思います。本日はありがとうございました。
企業名 | 有限会社ベッツ |
---|---|
屋号 | たじま動物病院 |
住所 | 埼玉県川口市仲町1-11 |
電話番号 | 048-257-3359 |
代表者 | 田島 正志 |
HP | HP |
【奧山所長】(以下所長)動物病院を経営されていますが、何年くらいされていらっしゃいますか?
【田島院長】(以下院長)16,7年くらい前ですね。
【所長】 大学獣医科を卒業されて、どこか他に勤務されたことはありますか。
【院長】 2箇所です。場所によって動物病院によってやり方も違うので、2箇所で勉強しました。
【所長】 近郊とか都会だと犬猫どちらのほうが多いですか。
【院長】 この辺だと、わんちゃんのほうが多いですね。
【所長】 大きいとか小さいとかは?
【院長】 この辺は小さい犬中心ですね。逆に都内の方に行って大きい公園が近くにあると、大型犬が多いです。
【所長】 この辺りは動物を飼っていいマンションとかはありますか?
【院長】 最近は増えてきました。
【所長】 院長としては好きな動物とかはいかがですか。
【院長】 今は犬と猫を飼っています。やはり、犬と猫が好きですね。猫は普通の猫とスフィンクスという毛のない猫を飼っています。
【所長】 スフィンクスですか?珍種ですね。ところで病気はどういう形でもちこまれるのが多いですか。痛いとか、具合が悪いとかというかたちで?
【院長】 食欲がないとか、元気がないとかで連れてこられますね。
【所長】 今一番多いのはどんな症状ですかね。
【院長】 いろんな病気がありますのでね。今は季節的に蚤の駆虫とかフィラリアの予防が多いですね。
【所長】 骨を折ったとか怪我をしたとかそういうのより病気が多いのでしょうか。
【院長】 最近は家でつないで飼われていることが多いので、交通事故とかの怪我は減りましたね。外に出る猫の場合はけんかの怪我が多いですね。できれば猫も家の中で飼うほうが怪我も病気も少ないですね。
【所長】 連れてこられる動物の治療法は、年々変わってくるんじゃないかと思うのですけどもどのように対応されているのですか。
【院長】 仲のよい先生がたと会のようなものを作って大学の先生や検査センターの先生をお呼びして勉強会を開いて最新の情報を得ます。
【所長】 かみ傷とかはしょっちゅう絶えないですか。
【院長】 傷だらけですね。やっと爪も治ってきたところです。しょっちゅう傷だらけです。治療している時、おとなしいこはおとなしいですが、そうでないこは爪をきるのにもガブっとかむこもいれば、なにをされもじーっとしているこもいる。そのこそれぞれです。かまれるのを恐がっていたら出来ない仕事ですね。私は男ですからいいですけど、従業員は女の子ですから、かまれたりするとかわいそうですね。
【所長】 犬猫が好きでないとできないでしょうね。
【院長】 できないですね。
【所長】 治療するのに預かるケースもあるわけですよね。
そういう場合、犬も猫もせまいところでかわいそうだという話もありますが、それは大丈夫ですか。
【院長】 そのこの性格によります。病院で大暴れしちゃうようなこは通院で治療したほうが効果がでるし、病院にくると逆におとなしくなって安静にできるということで、治療効果があがるこもいるので。もしくは飼い主さんのご都合、例えば毎日通うことができるのであればそのほうがいい場合もあるし、入院がいい場合もあるし、ケースバイケースですね。
【所長】 旅行や仕事で預かってもらう場合もありますが、当病院でもそういうことはされているのですか。
【院長】 そうですね。うちでも対応はしています。
【所長】 そういう場合、食事や運動はどうするのですか。
【院長】 猫ちゃんの場合は運動させると逃げちゃいますので、ゲージの中だけですが、猫ちゃんは慣れてしまえば平気でのんびりしているこが多いですね。犬の場合は朝晩軽い散歩はさせます。犬は一日中ゲージの中に入れておくのはかわいそうですからね。
【所長】 犬猫を飼いたいという人が多いと思いますが、先生の立場でこういうことは気をつけたほうがいいとかありますか
【院長】 飼う前にきちっとその種類の性格や特徴をよく調べていただくことが大切ですね。一番かわいいときにきちんとしつけをしないと、一生大変な思いをすることになります。食べ物のしつけもちゃんとしないと、これしか食べないとかなると万が一病気になった時に食事療法ができなくなり、寿命を縮めかねないことになります。
【所長】 預けてしつけてもらうというのはどうですか
【院長】 私はあまり賛成はしません。わんちゃんをしつけてもらうのではなくて、飼い主さん自身がしつけのしかたを教わり、いっしょにしつけていく。訓練士さんの言う事だけ聞いて飼い主さんの言う事をきかなかったらだめですよね。小型犬の場合は特にいつもの環境でしつけてもらうことが大切だと思います。
【所長】 贅沢になって来て、一つのものでは食べなくなってしまったときはどうしたらいいのでしょうか。
【院長】 食べないときはそのまま食べないでいいんですよ。食べなくても元気にしていれば問題はないです。喜んで食べてるのをみるとついついうれしくなっていろんなものをあげちゃうのですけど、ふだんは同じ食事をあたえて、他に知らなければ食べざるをえない。食事管理が一番大事です
【所長】 先生のお顔を拝見していると、本当に動物にやさしいことがよくわかりました。お怪我なくこれからも頑張ってやってください。今日はどうもありがとうございました。
企業名 | 株式会社ジュエリーアベ・アイワ (現:株式会社ジュエリーアイワ) |
---|---|
住所 | 東京都足立区平野3-19-7 |
電話番号 | 03-5691-1741 |
代表者 | 阿部 靖俊 |
【奧山所長】(以下所長)"ジュエリーアベ"さんと聞くと、名前からしてたいへん夢がある商売だな、職業だなと思うのですが、今ビジネスはどういうことを中心にやっておられますか。
【阿部社長】(以下社長)私どもは「(株)ジュエリーアベ」と「(株)ジュエリーアイワ」の2社の兄弟会社で構成されています。「アベ」と「アイワ」で作っている商品は全体として一つになりますが、部品製作がアベで、その部品を組み立て製品化するのがアイワです。最終製品としては、ネックレス・ブレスレット・イヤリングそれから若干リングもやっています。アベとアイワの総合技術により作っています。
【所長】 アベさんで原材料を仕入れて製作し、デザインがアイワさんで完成させて問屋に売るということですね。
【社長】 受注販売の窓口がアイワなので、原材料である地金の手配はアイワが主です。1組のネックレスは概ね30~100種類くらいの部品の組み合せで出来ています。「アイワ」が市場をリサーチし商品の企画をします。その企画の際「アベ」の部品製作技術が大変有効に作用し、ほぼどの様なパーツでもスピーディに製作する事が出来ます。「アベ」で部品が製作され「アイワ」はそれを組上げ、製品として完成させ販売するという役割分担です。
【所長】アベさんの商品を女性が見たら目を輝かせっぱなしでしょうね(笑)
【社長】 そうですね。当社の製品群はファッションとして手軽にお使い頂けるものから、アクセサリーではあるけれどもデザイン性が強く価格帯的には「貴金属」が強調される商品群とがあって、かなり広範囲にご用意させて頂いておりますので、すべての女性たちに興味をお持ち頂けるのではないかと自負しております。
【所長】 「ミラーボール」という商品は御社が開発されたのですね。これはどういう商品ですか?
【社長】 昔クラブとかキャバレーで、スポットライトを受けてキラキラ輝きながら回転するボール状の「ミラーボール」をご記憶の方も多いのではないかと思いますが、あの魅惑的に輝くミラーボールを、私は貴金属の加工技術を駆使してネックレスの部品として製品化する事に成功しました。昭和62年頃でしたからもう相当な年数が経ちます。
【所長】 すごくキラキラ輝くわけですね。
【社長】 はい、あとで製品を見ていただければわかりますが、まるで「ダイヤモンド」です。同量の金属であればミラーボールの形状ほど、輝くものは他にはないと自負しております。
【所長】 今、御社の自慢のこれがいいよという商品はありますか。
【社長】 ミラーボールだけでも何百種類もあり、他の形状で特許をとったものが何点もあります。
【所長】 それはおいくらですか。
【社長】 製品によってまちまちです。店頭上代では1万円代から、手の込んだものでは100万円を超えるものまで様々です。
【所長】 アクセサリーで、ですか?
【社長】 そうです、ネックレスで、です。
【所長】 あまり家内に見せたくないですね。(笑)
【社長】 アクセサリーはお客様により好み用途が多様で、さらに年齢による差も大きく、若い人と年配のかたではまた随分違います。
【所長】 家内とデパートに服を買いに行きますと、光り物のところダイヤモンドとか装飾品の所をサッと通ってはくれません、見ていくんですね。我々からみれば余計なものと思いますね。
【社長】 男性からすると興味を持つ商品ではありませんね。女性には貴金属・宝飾に対するあこがれがあり、自分の好みがありますね。ダイヤ、エメラルド、プラチナ、金がいいとか。
【所長】 夢を女性にあげる仕事ですね。ところで実際に製造、販売する上で気をつかっていることは何ですか?
【社長】 当社はメーカーですから、実際にお使い頂くお客さんに喜んでいただけることが第一です。貴金属としての価値や好みに合うデザインも大切ですが、使っていただく物なので壊れることのない様、不良のない様、使い心地の良い製品としての物作りを心がけています。
【所長】 品質管理ですね。
【社長】 一部は機械化されていますが、基本的にはハンドメイドですから一つ一つ大切に製作しています。
【所長】 オートメーションがきかないのですね。
【社長】 マシンチェーンと申しまして、「喜平型」とかペンダントをつけるためのネックレスの様に「形状」「大きさ」の同じものを大量に製作するのには機械ですが、当社の製品はそれぞれに「個性」「表情」があり、これを製品とするにはハンドメイドが不可欠です。
【所長】 原材料の仕入れは相場によって変動するので気をつかっていると思いますが、販売価格は一定にせざるを得ないのでしょう?
【社長】 ここが大変困難なところです。地金製品はあくまでも相場連動なので、引渡価格は受注日の相場を原則とします。例えば、商社・問屋・小売店の流通過程では、その移動による相場差はあまりありません。しかし、受注生産が基本である当社としてはどうしても「受注」から「引渡」まで日数を要します。それでも業界では受注日の相場が原則で、それも午前の受注は午前の相場、午後の受注は午後の相場です。
【所長】 御社の商品は、どこでも求めることができますか?
【社長】 デパート、展示会、幹線道路沿いの大型路面店などの大半に出させて頂いています。また最近はテレビ通販にも力を入れています。
【所長】 自社の製品はわかりますか?
『ドリュージュ 190万』
【社長】 私共は、自社製品はすべてわかります。デザインに当社の特徴があります。
【所長】 アベとかアイワとか書いてあるのですか?
【社長】 いいえ。これも長年の課題のひとつで、製品に当社の「ロゴ・商標」をいれたいという希望があります。そうすれば当社と他社がはっきりする。それがこれからは大事なのです。これは絶対にしなきゃいけない。私はこの仕事に携わって以来みなさんに言っています。ところが流通側の問題がありまして、問屋さんの中には自社製作の会社もあれば、他社仕入の会社もある。流通の立場では、他社製品も「自社」として販売したい。作った場所で差をつけたくないのです。微妙なところですがこれから大事なことです。
【所長】 製品ナンバーもつけていないのですか。
【社長】 現時点ではつけていません。ネックレスですと、プレート、引き輪、留め金という部品があり、留め金には各社独自の形状があるので、業界の方であればどこの製品かわかりますが、店頭で実際にお買いになるお客様には、見分けがつかないでしょう。
【所長】 原点に戻って恐縮ですが、どうしてこの商売を始めたのですか。
【社長】 私の実家は、時計とかメガネを扱っていました。それがこの仕事を始めるきっかけです。
【所長】 女性に会いたくて… ということは?(笑)
【社長】 ぜひプレゼントしたいというのは、男性はみな同じじゃないですか(笑)
【所長】 ネックレスメーカーの社長さんだと知られると、女性に人気がでてマズイんじゃないですか(笑)
【社長】 消費者の方からみれば、この仕事は「貴金属」を扱いますから、いいように思うかもしれませんが、地肌に直接触れる製品を生産しておりますので、貴金属の「加工業」としての厳しさがあります。
【所長】 これからの会社の夢とか目標はなんですか?
【社長】 最初、アベを立ち上げた時はリングが主体でした。ファッションリング、ブライダルリングですね。それらの全盛期後状況が変わり、ミラーボールを製品化した後にアイワを立ち上げました。私共は物を作る会社ですから、当社製品を実際に、身に装って頂く時のお客様の姿や喜び、それぞれの状況を想いながら製品を創り出します。創り手が抱くこうした楽しみとか夢が製品に反映され、店頭でお客様に伝わり「これは良い」との評価を頂ける。そうした物作りが出来る会社でありたい。従業員に対してもそう言っています。
【所長】 ありがとうございました。これからも益々ご活躍下さい。夢を与える商品をお作り下さい。
【社長】 そうなれるように頑張ります。
『太目タイ形 70万』
企業名 | 株式会社モリトウ |
---|---|
住所 | 埼玉県岩槻区古ヶ場2-9-20 |
電話番号 | 048-793-2010 |
代表者 | 鬼武 正行 |
HP | HP |
【所長】今回はさいたま市岩槻区で産業機械製造業を営まれる株式会社モリトウの鬼武社長にお話しを伺いたいと思います。よろしくお願い致します。
【社長】宜しくお願い致します。
【所長】まず、私共は以前から前奥山会会長である小林さんが興された小林精機という会社を関与させて頂いていた訳ですが、その後モリトウという会社になりました。
社名であるモリトウはどのような経緯でつけられたのでしょうか?
【社長】はい。昭和23年頃に設立した小林精機とは別に林業機械のウインチ等の関係をやっていた森藤機械があり、小林精機で作って森藤機械で売っていく体制になっていきました。2本立てでやってきたわけですが、岩槻に移るにあたって2社でやって行くには経費もかかるということで1本にして営業も販売もやっていこうという形態になりまして、名前をどうしようかという話になったのですが、森藤の場合は不特定多数のお客さんが沢山いることから一般的に名前が売れている森藤の名前をとってカタカナのモリトウとなりました。
【所長】以前小林会長の叙勲のときに山での集材関係機械が得意だとお伺いしたのですが最近はどうですか?
【社長】確かに以前は林業関係の仕事が多かったのですが最近では売上げる回数も少なくなってしまいました。切った材をいかに安く市場に出すかというものが多かったのですが、それだけではなく、最近では苗をうまく植える、あるいはその後の草刈りをどのようにするか。そういう方面も行っております。日本の山は平らではないのでそこが非常に難しいですね。斜面に機械がどうやって入って行くかというところから入りますからね。
【所長】なるほど、今、林業以外でも売れているのはどのようなものがありますか?
【社長】土木関係ではコンクリートを送るときのポンプや、それを出し入れするバルブなどがあります。いづれも大量生産品ではないですね。
【所長】ここにきて日本の環境問題や、あるいは自然保護などいろんな形から林業を盛り返そうという空気はあるんじゃないでしょうか?
【社長】それはありますね。温暖化の問題を含めて場所が悪くても、お金を出しても、山は整備していかなければならない。そのような風潮になっていますね。ですから林業は他の業種と比べてそれほど悪くなっていないと思います。
【所長】個別で受注される時に、御社の強みのようなものはありますか?
【社長】機械の精度が良く壊れにくい、丈夫な機械を作ることに心がけてはいます。そのようなことが評価されて去年はそのような機械が多く出ました。
弊社以外にも同じような機械があるのですが外国での競合がありましてね、そこで弊社の受注が決まりました。精度が良い分、お客様の満足度も高いのですが、若干値段が高くなってしまうのは弊社の弱みでもありますね。
【所長】集材で山へ行かれる機会が多いと思いますが、その中で思い出に残っているものはございますか?
【社長】長野に大滝村というところがあるのですが、そこの村から40キロくらい先にある山に行った時のことです、そういう所に行くと天然の大きいイワナが沢山釣れるんですよね。帰りにイワナを釣って刺身にして食べたことなんかがありました。刺身で食べられるなんて珍しいですよね。新鮮なイワナに夜ですからお酒も入ってとてもおいしかった良い思い出です。
企業名 | 有限会社河村鋳造所 |
---|---|
住所 | 埼玉県川口市上青木1-8-20 |
電話番号 | 048-251-5219 |
代表者 | 河村 俊一 |
【奥山所長】(以下所長)今回は川口市の代表的産業である鋳物業を営まれている有限会社河村鋳造所の河村社長にお話を伺いたいと思います。
過日は川口税務署長の工業見学に御協力いただきありがとうございました。色んな方が工場にお見えになるのではないですか。
【河村社長】(以下社長)つい最近ではテレビ東京で放映された「空中散歩」でベーゴマを製造する様子の取材を受けました。
テレビや新聞等マスメディアの取材が多いのですが、他に小学校の社会科見学、高校写真部の方の工場内撮影等と色んな方がお越しになります。珍しいところでは国会議員や経済産業省職員の一団が観光バス1台で見学に来られ、その人数の多さにびっくりしたこともありました。
【所長】川口でも鋳物工場は他にありますが、どうしてマスコミの取材がそんなに多いのですか。
【社長】戦後は川口市内に700社を超える鋳物工場があったそうですが、現在では60社程度に減少してしまいその中でも電気炉で溶解する所が多く、うちのようにキューポラで溶解するところが少なくなってきました。
うちのキューポラは高さが約10mと小さめなのですが、湯が樋から前炉に落ちる際の火花が散る様子を間近に感じられ、その迫力が伝わりやすいからではないでしょうか。
【所長】キューポラを維持し続けるのは大変ではないですか。
【社長】コークスの燃える炎と臭いがキューポラの特徴ですが、現在ではその臭い等が公害の対象となっているので電気炉で溶解する所が増えてきています。しかし、キューポラの湯で出来た製品は加工しやすいと言われていますので出来る限り長くキューポラを使用し続けたいと考えております。
そのためにキューポラに集塵機の装置を付けたり、定期的に工場やその周辺の環境測定を実施する等公害を出さないような努力をしております。
【所長】唯一のベーゴマ生産工場と聞いていますが、メディアに取り上げられた後の反響はどうですか。
【社長】メディア受けはいいようなのですが、受注増にはなかなか繋がらないですね。それよりもうちの範囲外の製品を依頼されたり、高価な型がないと製造できないということをご存知ない方からの問合せも多いんですよ。
【所長】じゃあ何でも作ってくれると思って連絡してくるのですね。
【社長】そうなんです。商売になることはまず無いですね。まあ損得は考えずに昔の良き伝統や文化を伝えていこうという気持ちで取材を受けております。
【所長】今の小さい子供はベーゴマをやらないでしょうからね。私も昔やったことありますが、巻き方が難しくてしっかり巻けないんですよ。うまく巻けると勢い良く回せるんだけど。
【社長】ベーゴマは回ってる音がいいですよね。うなりながら回りますからね。
【所長】うならせて回せる人はうまいんですよ。いつも私のベーゴマは弾き飛ばされてましたから(笑)